最近の主な活動まとめ

 4月から6月までのメディアと講演活動を、以下にリンク付きでまとめます。なんか忙しいと思っていたら、よく働いていた。忙しくて不義理をした記憶も多いが、謝罪文を『決め方の経済学』のあとがきに書いてある(なので私に不義理された記憶のあるかたは購入してほしい)。

  • ジュンク堂池袋本店トークイベント 6/28「アメリカ大統領選と多数決の罠」が、いよいよ迫ってきました。けっこう埋まってきましたが、まだ残席がございます。どうぞご参加ください。トランプ大統領から、EU離脱までを、多数決を軸に語ります。

  • 毎日新聞 6/25「EU離脱」にコメントを寄せました。嘆いています。

    http://mainichi.jp/articles/20160625/k00/00m/040/097000c

  • 毎日新聞 6/16「そこが聞きたい」でロングインタビューを受けました。本紙だと、1ページの丸ごと上半分が使われています。今後これほど大きく紙面に載ることは無いのでは。

  • 朝日新聞 6/23 「GLOBE」で長めのインタビューを受けました。記者さんも日本の投票制度をグイグイ攻めている。

  • 朝日新聞社の「月間Journalism」6月号に、論説「多数決選挙は人々の意思反映が苦手」を寄稿し、WEB RONZAに転載されました。私は学部生時代に「論座」を愛読していたクチで、いまだに廃刊が残念です。

  • たばこ総合研究センターの機関誌「TASC Monthly」6月号に、読み物「多数決と多数意見」を寄稿しました。

    TASC MONTHLY | TASC 公益財団法人 たばこ総合研究センター

  • 政治思想学会 5/28 で「経済学の視点から多数決を考える」の講演をしました。研究大会(政治思想学会)
  • 日本経済新聞 5/15 書評『フー・ゲッツ・ホワット』を寄稿。翌週の大型広告では、書評の最後のフレーズ「題名は『フー・ゲッツ・ホワット』(誰が何を得るか)だが、誰もがこの本を得るべきだ、と言ってしまいたい」が大きく引用されました。

  • WIRED ビジネスブートキャンプ 5/13 で「マーケットデザイン」の講演をしました。 最近は、多数決関係の仕事が多いのですが、オークションやマッチングを久々に話すと楽しい。

  • TBSラジオ5/21 久米宏「ラジオなんですけど」に出演しました。私は「ベストテン世代」なので久米さんに会えて嬉しかった。

  • 岩波新書『18歳からの民主主義』4/21刊に「選挙ってなんだ?」を寄稿しました。本屋で人目を引く美しい本で、早くも重版出来だそうです。  
    18歳からの民主主義 (岩波新書)

    18歳からの民主主義 (岩波新書)

     
  • 岩波新書『多数決を疑う』はおかげ様で8刷りが決まりました。今回の英国の国民投票のように変な多数決が行われると売れ行きが伸びている様子で、「なんだかなあ」とも思います。 
    多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

    多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

     
  • そしていよいよ月末には新著『決め方の経済学』(ダイヤモンド社)が公刊されます。すでに多くの予約注文をいただいています。これについての各種イベントを考えて下さる方がいらしたら歓迎いたします。 
    「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

    「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

     

     

周囲の出版ラッシュ

 周りの人たちが次々と本を出している。どうしてこの人たちはこんなに書くんだろうと思う。あんまり周りの人が成果を出すと、私がしんどい気がしてくるので、ほどほどにしてほしい。ワークライフバランスはどうなっているんだ。以下、出版日順です。

 まずは井手英策さんが『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)を出された。井手さんと東洋経済の人が密接に会っていると感じていたが、まさかこんなに早く出版するとは。「です・ます調」の柔らかい文体と聞いていたが、彼のようにハードな御仁がソフトな語り口などできるのだろうか?

 結果からいうと、でき過ぎであった。表紙を見ただけで、売れそうな雰囲気がビシビシ伝わってくる。内容も良いことが、紙を触っただけで分かる。思想と構想が凝縮されているから、「こういう本」と一言では紹介しにくい。

 イラストで本人が出てくるが、似ていると思う。「はじめに」の7頁では穏やかで柔和な表情だが、あとは険しい表情もよく出てくる。白と青の二色刷りに、優しい風合いのイラストが多く載るが、本書の厳しい内容を甘くしていない。イラストレータの田淵正敏氏は、議論を的確につかみ、見事な仕事をしていると思う。全体的に、東洋経済新報社の本気を感じる。

18歳からの格差論

18歳からの格差論

 

 そして宇野重規さんが『保守主義とは何か』(中公新書)を出された。先月の『政治哲学的考察』(岩波書店)に続いての公刊だから、働き過ぎではないだろうか。まとまったヴァケーションが取れるよう、勝手にお祈り申し上げます。

 オビは「本流を知れ」で、こちらは中公新書の「ウチはこういうのを出せますけん」なプライドを感じる(すいません私が勝手に感じてるだけです)。昨日から通勤中に読み始めた。

 保守主義とは何か? 保守とリベラルという対置ではなく、保守と進歩の対置から話ははじまる。急進的な変革を楽天的に求める進歩に対する牽制としての保守という、元来の保守の役割を考えれば、進歩の理念が失われつつある今日、保守の位置付けが大きく揺らでいる。それゆえ「保守主義」を、その来歴を踏まえながら、今日的に再定義する必要がある。こうして書題の「保守主義とは何か」という問いかけがはじまる。

 なんとクレバーな問題の立て方だろう。宇野さんほどの碩学と比べるのはおこがましいが、私には到底できないものの考え方である。当分のあいだ、私の通勤の友。

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書 2378)

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書 2378)

 

  松沢裕作さんが『自由民権運動』(岩波書店)を出された。岩波新書の王道を行く一冊だ。この本の公刊は、以前から界隈で――どの界隈か分からないが私の棲息する界隈――話題になっていた。私は草稿を読ませてもらっていたが、もちろん本の形になると印象は変わる。

 ページをめくって、字が目に入ったとき、まず最初に、「あああ、これは松沢フォントだ、こだわりやがった」と思った。侘び寂びの効いたたたずまい。たしか彼の活版印刷の名刺のフォントもこんな感じだった。これだけで「やられた感」がある。私はこのフォントに民権運動家への鎮魂を感じる。これは私が勝手に感じるだけだが、フォントも文意には作用するのだ。

 「自由民権運動」という言葉から今日の私たちが想像することと必ずしも一致しない、当時に自由民権運動と呼ばれていたものの姿と人間の情念が、本書ではえがかれる。明治政府を揺るがした未曽有の国民運動における、人々の熱意と希望のゆくえ。政府と民権派の対抗関係は、やがて「何をやるか」の競争ではなく、「誰がやるか」の抗争になってしまう。「お前たちにやらせるのは気に食わない」に転じてしまう運動の顛末。ああ、なんかその気持ちよく分かる。民権派の栄光と悲惨が語られる。

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)

 

 以上のお三方と、今度、某社で一冊の本を作る。企画会議は通ったが、まだ一字も存在していないので、詳細を語れる段階ではない。たぶん夏ごろ書くのだろう。私は若いとき、自動書記のようにものが書けていた。夜中に小人さんが勝手に仕事をしてくれる感じで、あれは実にラクだった。最近はリアルな自分がせっせと書いているから、辛い。

 さて謙遜でも何でもなく、この人たちは私より文章が(格段に)うまい。知らない人の見事な文章を読むと「ああ自分もこんな風に書きたいなあ」と思うが、知っている人だと「もう自分は書かないほうがいいんじゃないか」と思う。

 だがもう書いてしまったものは仕方ない。そして威張るわけでも開き直るわけでもなく、文章は上手ければよいというものでもないのだ。美味しいものばかり食べていたら飽きるだろう? そんなあなたにおススメしたい拙著『決め方の経済学』(ダイヤモンド社)が、6月30日に書店に並びます。食べやすさを追求したつもりなので、消費してほしい。

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

 

トランプ大統領(6/28(火)夜 池袋ジュンク堂トークイベント)

 6月28日(火)にジュンク堂池袋本店で、岩波新書『18歳からの民主主義』の刊行記念トークイベントに出演します。お題は「アメリカ大統領選にみる多数決の罠」です。19時開場、19時半開演、入場料はドリンク付きで1000円です。まだ残席がありますので、どうぞお越しください。

http://honto.jp/store/news/detail_041000019039.html?shgcd=HB300

 入場には事前の予約が必要です。ジュンク堂への電話03-5956-6111で申し込めます。さあ、いますぐ電話をかけるんだ! 「6月28日の『18歳からの民主主義』のトークイベント」で通じます。オンラインでの受け付けはないようですが、店舗1階のサービスカウンターでは直接申し込めます。

  私が何をしゃべるのかというと、トランプ旋風吹き荒れるアメリカ大統領選で、多数決という「決め方」がいかにトランプに有利に働いたかを説明します。そしてまた、トランプに限らず、近年のヨーロッパでの極右政党の躍進と、多数決の関係について話します。内容はとくに難しくなくて、ざっくばらんに話す、カジュアルなトークイベントです。

18歳からの民主主義 (岩波新書)

18歳からの民主主義 (岩波新書)

 

 以下は話のさわりです。

 私はよく、多数決は票の割れに致命的に弱い、という説明や指摘をします。2000年の米大統領選だと、ゴアがブッシュに優勢していたところ、ネーダーが参戦してゴアの票を絶妙に食ってブッシュが逆転勝利、というように。

 今回のトランプは、共和党の指名を得る予備選挙で、とりわけ序盤に相手側で「票の割れ」が起こり、漁夫の利で勝利をおさめた面があります。また、トランプ自身も「票の割れ」を活用する自覚が明確にあって、それについて、なかなかえげつない言動をしています。

 イベントでしゃべる内容の一部を、時系列でお見せすると次のようになります:

  • 2000年に多数決が奇妙に働いてブッシュが大統領選で勝った。
  • 2001年にブッシュは大統領に就任、同時多発テロに遭う。
  • 2002年の国連安全保障理事会で、日本を含む15か国の満場一致で、イラクに「無条件かつ無制限の大量破壊兵器査察」を求める決議1441が採択。起草したのは米英。
  • 2003年にブッシュの主導で、決議1441への違反をひとつの理由として、イラク戦争が開始。
  • フセイン政権は倒れ、イラクは「民主化」するものの、統治は安定しない。フセイン・バース党の残党が、いわゆる「イスラム国」ISを結成して勢力を拡大して、いまや世界的な安全保障上の脅威。
  • ISの脅威化に伴い、移民排斥を訴える極右政党がヨーロッパで躍進する。極右政党は「悪目立ち」するので右翼まわりの票が集中する。一方で、普通の党たちのあいだでは票は割れる。つまり極右政党は、多数決では上位に食い込みやすい。だからよく「多数決で2位になり、決選投票に進む」ことがある。決選投票では負けても、決選投票に進めたこと自体が大きなアピールになり、党勢が強くなる。2002年の仏大統領選で、まさかの「国民戦線」が決選投票に進んだルペン・ショックはその典型例。最近だと先月のオーストリア大統領選で、極右候補ホーファーが決選投票に進み、そこでは僅差で負けた。
  • 2015年には、やはり移民排斥を訴えるトランプが共和党内で躍進。そこでは(決選投票もついていない単純な)多数決という決め方が、トランプに絶妙に有利に働く。

 そしてこの辺りの話は、7月1日に刊行される新著『決め方の経済学』でも色々と扱っています。Amazonにも書影が出たが、わりといい感じではなかろうか。なんというか、夏色サイダー? 梅雨が終わったら海に行きたい。

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

 

政治思想学会

 政治思想学会(於 名古屋大学)に呼んでいただき、「政治思想研究と隣接諸学」セッションに登壇してきた。相変わらず多数決の話をするのだが、コンドルセとルソーの話を軸に据えた。研究大会(政治思想学会)

セッションの構成は次のようなものだ。

「シンポジウムⅢ 政治思想研究と隣接諸学司会:野口雅弘(立命館大学)」

  • 坂井豊貴(慶応義塾大学)「経済学の視点から多数決を考える」
  • 谷口功一(首都大学東京)「法哲学の視点から共同体を考える」
  • 松沢裕作(慶応義塾大学)「統治の思想と実務:明治地方自治体制研究を一例に」

討論:山岡龍一(放送大学)

 

 討論者の山岡先生は、三つの他分野の研究者に主に「方法」について質問するという離れ業(tour de force)をやっておられた。いただいた質問に対する私の返答を、以下にまとめておく。質問文はあくまで私が短くまとめたもので、もとの文章のニュアンスが変わっているかもしれないし、叡知の度合いが下がっていることは間違いない。また、フロアからの質問も混ぜてある。ここでの目的は、あくまで私の「自分の学問への本音」をいくつか、ざっくりと記述することである。

 

Q.アリストテレスは、学問の方法はその対象に応じて変わるべきだと主張していたが、それについてどう考えるか。経済学の方法は、もはや対象として我々が普通「経済」と呼ぶものを超えているように見える。

A.結論からいうと、学問の方法が対象に応じて変わるのは当然ではないか。経済学はなぜ数理化できたか?(したか)

  • 扱う対象に数字が多いから(例: 価格、量、売上、費用)。
  • 経済学で確立した数理的方法は、ときに新たな学問分野を生みだしたり(例: Social Choice, Positive Political Theory)、ときに他分野でも活用できる(例: マーケティングに計量経済学を活用、オークション理論でGoogleが大儲け)。

 扱う対象に数字が少ない学問分野(例: 政治思想、歴史)は、数理的方法は向いていないだろう。

  • 数理的方法の特徴は、定義・定理・証明の流れがあること。定義できないものは扱えない。定義という作業により対象を明確化するのは良いことだが、それに向いていない重要概念は多々ある。たとえば一般意志。
  • 解釈する、文脈を与えるといった作業も、もちろん数理的方法ではできない。そもそも数理的方法で得た結果は、解釈したり、文脈を与えたりせねば無意味。

 

Q.選好を所与のものとして扱うことをどう考えるか。

A.私は「人々の意思(選好)をうまく集約するルール」の設計を研究しているが、虚しく感じるときもある。というのは、邪悪な人々の意思をうまく集約すると、邪悪な結果が出るから。集約ルールは徹頭徹尾、手続きである。結果の内容が善きものであることを全く保証しない。

  • リンカーンは他候補のあいだの「票の割れ」のおかげで多数決の大統領選で勝てた。人々の意思をうまく集約するボルダルールなら負けていた。
  • 私自身は、ルワンダ大虐殺をとても気にしている(大虐殺が投票で決まったわけではないが、「多数派の専制」の最悪ケースであろう)。なぜツチ族の隣人を虐殺したフツ族は、「フツ族としての自分」のアイデンティティに強くとらわれたのか。「隣人としての自分」でもよかったではないか。なんと不自由なことか。これはアマルティア・センの『アイデンティティと暴力』な話だ。   
アイデンティティと暴力: 運命は幻想である

アイデンティティと暴力: 運命は幻想である

 

 

Q.政治理論には、熟議民主主義論のように、選好の変容、もしくはより善い変容を目指すという志向性がある場合があるが、それをどう考えるか。

A.その志向性に共鳴する。よく経済学者は「制度を憎んで人を憎まず」というが、私はきっちり人も憎む。制度にできることは限られており、人間にも期待をかけないわけにはいかない。

 

Q.多数決が「票の割れ」の影響で多数派すら尊重しないダメな投票方式であることは分かった。ではそれ以外の投票方式、例えばボルダルールを使って、結局、少数派は守られるのか。

A.守られない。人々の多くが邪悪なら、多数決だろうがボルダルールだろうが、投票結果は邪悪なものになる。投票という手法じたいには少数派を守る機能は備わっていない。そもそも投票で決められることを立憲主義的に制約したほうがよい。

 

Q.コンドルセの真意をつかむことは、学問にとって、本質的に有意味なのか。

A.有意味である。社会的選択理論の始祖であるコンドルセの真意は、ルソーの『社会契約論』を制度として具体化すること。これは1980年代に明らかになった。真意が分かると、それまで不明瞭だった文章や数式が解釈できるようになる。
 仏像だけ眺めてもしょうがない。そこに込められた魂を知覚したい。込められた魂を知覚すると、仏像の見えかたが変わる。私の場合はコンドルセを通じて、社会的選択理論の見えかたがずいぶん変わった。ただしこの場でこのように申し上げるのは、私にとっては一種の信仰告白(confession)である。

 

 行き帰りの新幹線のなかでは、企画者の宇野重規さんからご恵送いただいた『政治哲学的考察』の第5章「代表制の政治思想史」を読んだ。これを読んではじめて私は、「代表」の概念が、その情念性が、それなりに分かったような気になった。それにしても、論文を(整理して)まとめて、こうも立派な一冊の本になる、というのはすごいことだ。 

政治哲学的考察――リベラルとソーシャルの間

政治哲学的考察――リベラルとソーシャルの間

 

 

朝日Journalism とTASC Monthly

 短期的な締切がひとつもないので気が晴れやか。寄稿した雑誌がふたつ出版された。

 まずは朝日新聞出版の「Journalism」六月号。読み手にジャーナリストを意識した「多数決選挙は人々の意思反映が苦手 ――行きたくなる制度への報道が必要」というもの。

Journalism (ジャーナリズム) 2016年 6月号

Journalism (ジャーナリズム) 2016年 6月号

 

  もうひとつは、嗜好品を扱うJT系の財団たばこ総合研究センターの機関誌「TASC Monthly」。久住昌之氏による切り絵の表紙が贅沢な雑誌だ。Amazonでも扱っておらず、画像をお見せできないのがもったいない。

TASC MONTHLY | TASC 公益財団法人 たばこ総合研究センター

 本文のフォントもいちいち洗練されてて、さすが嗜好品の雑誌である。TASCサロンというコーナーに「多数決と多数意見」を寄稿したが、内容が嗜好品として成立していることを願っている。

2015年「義塾賞」、2016年「新書大賞」第4位

 今さらながらだが、2015年に職場である慶應義塾から「義塾賞」をいただいた。理由は「マーケットデザインおよび社会的選択理論についての先端的研究」である。

 慶應に移籍したのは2011年の4月だった。私は2010年に転職活動をしていて、公募に出願して採用してもらった。本音を言うと、採用が決まったときは、私は色々あって心身ともにひどい状態で、自分を抜け殻・燃えかすのように感じていた。慶應はとんだ外れクジをつかまされたものだと内心で思っていたし、それについて後ろめたい思いを抱えていた。こういうと謙虚なようだが、私はそのとき「コーネルに好待遇で招かれたファインマンが自分はもう期待に応えられないと苦悩する話」を読んで自分を慰めていたので、謙虚すぎるわけではない。  

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

  • 作者: リチャード P.ファインマン,Richard P. Feynman,大貫昌子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/01/14
  • メディア: 文庫
  • 購入: 56人 クリック: 1,250回
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 そしてその分、どうにか義塾に貢献したいと思ってたが、今回この賞をいただいたことで、後ろめたく感じなくてよいのだと思えるようになった。そのことが何より嬉しい。以下は教員インタビュー。

 そしてもうひとつ。今さらながらだが『多数決を疑う』が、2016年の新書大賞の第4位にランクインした(中央公論新社主催)。読者の方々、書店の方々、評価して下さった審査員の方々に、心よりお礼を申し上げたい。 

中央公論 2016年 03 月号 [雑誌]

中央公論 2016年 03 月号 [雑誌]

 

 

毎日新聞6/16「そこが聞きたい」

 6月16日(木)の毎日新聞・朝刊「そこが聞きたい」欄にロングインタビューが掲載されました。11面の上半分が丸ごとそのコーナーです。新聞に小さく載ることはちょくちょくありますが、ここまで大きく場所を使っていただいたのは初めてです。

 そのおかげで、自分で言うのも何ですが、かなり充実した内容になっていると思います。インタビュー記事なので、書いたのは私ではなく、(実名を出されている)毎日新聞の記者・尾中香尚里さんです。私はひとの話を聞いても、こんなに的確にまとめて新聞記事に構成することはできない。社会的選択に関する様々な知見が一つの記事に整理され詰め込まれている。

 著者紹介に、新著「決め方の経済学」(ダイヤモンド社)があがっています。そう、近々、新著が出るのです。多数決に限らない決め方の本です。このインタビュー記事と関連する内容が多い。春に出したかったけれど、書くのに苦心して、夏になってしまった。何とか参院選には間に合ったのと、まさかの都知事選もあるので、わりとタイムリーではある。アメリカ大統領選の話も多く扱っています。

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

 

急激に体調不良になった話

 昼食を午後2時ごろ取ることが多い。午前から書き物をしたり、お客さんと喋っていると、それくらいの時間になるのだ。そんな昨日の話。

 その日も午後2時ごろ、黒い油の浮いた九州とんこつラーメンを注文した。生ニンニクを入れるか聞かれたので、入れてもらった。麺は細麺で、固さは五段階で上から二番目の「バリカタ」である。食べ終わっても、どうもまだ小腹が空いているので、替え玉に一番固い「ハリガネ」を頼んだ。2玉食べるとお腹がいっぱいになる。本当は1.5玉がよいのだけれど、残すのも嫌なので全部食べた。意外と麺は非分割財である。

 午後5時ごろ、なんだか体の調子がよくないと思った。身体が思うように動かない。寒気がする。風邪をひいたのだろうか。帰宅することにした。誰だ俺に風邪をうつした奴はと、グラグラした頭のなかで犯人探しをはじめる。今日風邪でゼミを休んだ学生だろうか、昨日の官庁の勉強会で風邪をひいていたあの人だろうかとか、朦朧としながら考えるというか、変なことばかり思い付く。

 午後6時ごろ帰宅した。家族から離れ、自室に引きこもり、布団に横になった。すごい寒気がする。羽毛布団にくるまっても寒気が取れない。高熱は出ていない気はする。でも自分の体温が分からないくらい体調が悪いのかもしれない。体温計で熱を測るのはこわいからいやだ。

 それにしても、こんなに急激に体調が悪化するのは奇妙である。何か大病にかかったのではないかと不安になる。体が動かず、肩で息をする。あまりの気持ち悪さに「俺はここで急死するのでは」との思いも頭をかすめる。今週は新聞にふたつロングインタビューが載る。いま死んだらその記事の横に追悼文が載るだろうか。俺の多数決の言論のあとは誰が継ぐのか。研究室の院生たちよ継いでくれ、いや、まだそれはあいつらには早い、とか超くだらないことばかり布団のなかで考える。

 そのうちに、何かがおかしいことに気が付いた。

 自分の口が異常にくさいのだ。にんにくの異臭がする。胃から不気味なガスが、火山口からマグマが溢れるように出続けている。ああ、そういえばここ何時間か、異常なほどにんにく味のゲップが出る。ものすごく気持ち悪い。そもそも「バリカタ」も「ハリガネ」も消化に悪そうだ。キャベジンでもあればいいのだろうか? だがうちはそのような常備薬を切らしている。 

【第2類医薬品】キャベジンコーワ細粒 32包

【第2類医薬品】キャベジンコーワ細粒 32包

 

  布団を出て立つと、貧血を起こしたみたいにグラグラして、目眩がした。壁に寄りかかっていると、そのうち吐き気がしてきた。ああ、わかる。これは不可逆的なやつだ。どう努力しても工夫しても止められないやつ。俺はこれから派手に胃のなかのものをぶちまけるのだ。だがそこを踏ん張ってこらえてみる。意志の力はどこまで嘔吐を凌駕できるのだろう。

 凌駕できないそのときはすぐに訪れた。なんとなく、すました表情を作って、軽快な足どりでトイレに向かってみた。誰も見ていないのに、自分なりのプライドである。そして床にペタンと行儀よく座って、綺麗な便座のふたを華麗に開けてみせた。ふふふ、これで何が起こっても大丈夫。数瞬後、胃から猛烈な吐き気が込み上げてきて、突如「あああああ」と大声をあげながら、胃のなかのすべてを吐き出した。自分からこんな大声が不随意に出るのかと驚く。便器は吐瀉物を余さずキャッチしてくれ、私は床に座ったまま便座の蓋を閉めて水を流した。

 大声が隣家の人に聞こえていないか気になる。目の前がピンぼけなうえ白黒写真みたいに見えるけど、トイレの窓は閉まっている様子なので、ひと安心。「あああああ」の大声を聞いた子供たちが心配してトイレに駆け寄る足音が聞こえたので、ドアの鍵を閉めて静かに無視した。すまないが父さんはいま何も喋れないし、誰にも会いたくないのだ。

 というわけで、体調不良の犯人はどうやら、生にんにくのようであった。生でにんにくを食べるとそのようなことがあると、ネットで調べて初めて知った。そういうものなのか。それは常識なのか。自分には常識が欠けていると思うことが多々あるが、今回もそのケースか。

 結局、二度吐いた。その夜は何も食べずに、また、下痢をした。そして早めに眠りについた。朝起きてみると「ちょっと弱った人」くらいの体調に戻っていた。頭の働きはいつもの2割減くらい。

 外を歩いているとき、ラーメン屋が目に入ると、軽く気持ちが悪くなる。少しやつれたような気がする。そのぶん腹筋が割れて見えるようになっていたらいいなと思う。当分のあいだ私は麺類を食べないだろうし、金輪際にんにくは入れないだろう。

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

 

 

日経書評5/15ロス「フー・ゲッツ・ホワット」

 日経朝刊にアルヴィン・ロス『フー・ゲッツ・ホワット』(日本経済新聞出版社)の書評を寄せました。巻頭「この一冊」です。かけねなしに内容がよく、しかも面白い本です。わたしの趣味だと、『ヤバい経済学』などの実証ミクロ面白系ベストセラー本より、こちらの方が好きだ。広く読まれてほしい。 

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) ―マッチメイキングとマーケットデザインの新しい経済学

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) ―マッチメイキングとマーケットデザインの新しい経済学

 

 ところで、六本木ヒルズと、赤坂アークヒルズと、赤坂サカスの区別ができない。ブラックコーヒーにミルクを一滴ずつ入れるといつの間にかカフェオレになる感じだ。先日は講演会場が六本木ヒルズと思い込んでいて、そこで案内の人に「カラヤン広場はどこですか」と聞いたら、「それはアークヒルズです」と教えられて、慌てて移動した(ちゃんと間に合った)。わたしにはあの地域は魔窟である。

 港区のあのへんがさっぱり分からない。界隈を移動するにも、地下鉄・徒歩・タクシーのどれが最適なのかよく分からない。ビルが高く空は狭くて方角が分かりづらいし、そびえ立つ東京タワーはどこから見ても同じ形なので助けにならない。新橋からタクシーに乗るのが一番無難なのだが、頑張って独力で行こうとすると50%くらいの確率で失敗する。

岩波新書『18歳からの民主主義』と近況と告知

 ひさびさに更新します。仕事と家庭がむちゃくちゃ忙しくて、殺人的というより、過労死しそうな日々を送っております。GWは日中はよく子供と遊んで、疲れさせて早めに寝かせては、夜間にずっと仕事をしている。

 私も「選挙って何だ?」で6000字を寄稿した、岩波新書別冊『18歳からの民主主義』が公刊されました。内容の充実もさることながら、実に美しい装丁の本です。

18歳からの民主主義 (岩波新書)

18歳からの民主主義 (岩波新書)

 
  • 6月には池袋ジュンク堂で『18歳からの民主主義』のトークイベントをやる予定です。またここで告知します。
  • 5月5日の日本経済新聞朝刊「風」(経済教室の面)に、衆院定数「アダムズ方式」について短いコメントを寄せています。これから6月にかけて、多少、新聞や雑誌での登場が続きます。
  • 5月13日に六本木ヒルズで「WIREDビジネスブートキャンプ」で講演します。テーマは「マーケットデザイン」です。「ワイアード・ビジネス・ブートキャンプ」次代を担うビジネスパーソン育成講義プログラム-WIRED Business Bootcamp
  • 5月30日に、日本政治思想学会で、「異分野との交流」セッションで登壇いたします。本当にごめんなさい、まだレジュメも提出していません。
  • 一橋『経済研究』(岩波書店)の最新号に、昨年の一橋政策フォーラムの講演原稿が掲載されました。 コンドルセ多数決ルソー関係。なんかもうタイトルを覚えていない。 
  • 明日から家族旅行ですが、電車での移動時間では、ひたすら新聞・雑誌・機関誌インタビューのゲラ計3つをチェックします。ふふふ、忙しい自慢みたいだけど、そんなことなくて、辛いだけだぜ! ついでに言うと、ジャーナル論文の改訂締め切りを超したのが3件と、レフェリーの締切放置中が3件ある。怒られるまで放ってある。ご迷惑をおかけしているエディターの皆さまに伏してお詫びします。そして単著の締切が5月19日にある。6月末公刊予定。
  • まあ、何というか全体的に、なるようになるし、なるようにしかならんだろう。離島でひっそり静かに暮らしたい。 
経済研究 2016年 04 月号 [雑誌]

経済研究 2016年 04 月号 [雑誌]

 

横浜マラソン後半

 私レベルのへなちょこランナーだと、フルマラソンでは、心肺はきつくない。心肺がきつくなるのは速く走るときであって、フルだと速く走れないからだ。全身疲労は激しいが、息は上がらない。ヒィヒィ言わないぶんシラフでしんどい気もする。

  • 35km 6:46 まだ7分以内で走れている。歩きたいというか、止まりたい。
  • 36km 6:54 ああ、ギリギリ7分以内。止まりたい。
  • 37km 6:38 ちょっと持ち直した。とにかく4時間20分を切りたい。
  • 38km 7:06 ああ、やばい。止まりそう。残りまだ5km以上ある。
  • 39km 6:33 なぜ止まらないのかよく分からない。
  • 40km 6:49 無の境地。
  • 41km 6:37 抜かされてばかり。
  • 42km 6:53 街頭の声援を力にする力がない。
  • 42.48km 3:10 ラストスパートをかける余裕など残ってない。ゴールゲートをくぐるとき、ガッツポーズはしなかった。初めてフルを走った袋井では、自然と両手が上がったのに。心のフレッシュさも余裕もなかった。4時間17分14秒。

 こうやって書いてみると、何が楽しいのかさっぱり分からない。だが、あらためて振り返ってみると、やはり実に楽しかった。いまも心は横浜マラソンの余韻に浸っている。

 36kmくらいのところだろうか。高速道路を下りてから、港湾地区の巨大な倉庫場のあたり(?)が猛烈にキツかった。岬の果て、倉庫場の先に折り返しポイントがあって、そこを折り返すランナーたちとすれ違うのだ。ああ、折り返している快走者たちがうらやましい。そのまだ見ぬ折り返しポイントに、自分は走れども走れども到達しない。まだ?まだ?まだ?まだなの? 永遠にそこに辿り着く気がしない。

 とはいえ一定速度で走っているので、距離が有限である以上、やがて折り返しポイントに到着する。行きは長く感じるが、帰りはあっという間だ。そのまま市街地へ。沿道には多くの人で賑やか。あいだみつを系の応援フレーズ(例「ここまで走ったキミの勇気が勲章」)を書いたパネルを掲げる人もいる。私は今日は激しく遊んでいるだけで、勇気も熱意も何一つ使っていない。

 ラスト3kmくらいだろうか、横浜みなとみらいは、よく知っているので「うへえ、まだあそこまで走るのか」と分かってハートを削られる。知らない街を走る方が楽しいのではないか。ああ、だが、来年もぜひこの大会に出場して、また苦悶したい。

 日曜に走ったので、超回復のため二日あけて、水曜の仕事後にジムに行き、横浜マラソンの参加記念Tシャツを着て軽めに筋トレした。インストラクターのお姉さんがTシャツに気付いてくれて嬉しかった。In Bodyで体内組成を計測すると、体脂肪率は8.2%だった。食事制限などいらないぜ。これまでもこれからも、豚骨ラーメンのスープを最後の一滴まで飲み干すつもりだ。

横浜マラソン中盤

 折り返し地点(といっても同じコースを戻るわけではない)からさらに進むと、首都高へ上がる坂が出てきた。これから高速道路を11kmほど走るのだ。

  • 22km 5:27
  • 23km 5:38
  • 24km 5:47
  • 25km 5:54 脚が重くなってきている。キロ6:00を目標にする。
  • 26km 5:53
  • 27km 6:04
  • 28km 6:16
  • 29km 6:25 だんだんスピードが落ちてきた
  • 30km 7:31 待ち人数ゼロのトイレがあったので入った。1分のロス。
  • 31km 7:41 ミカンを食べた。たぶん消化によくないが、すっごい美味しい。
  • 32km 6:48

 たぶんこの辺りで首都高を降りた。高速道路を脚で走ることは普段ないので、とても珍しい体験だが、基本的にはただの単調な道路であった。カーブに強い傾斜がかかっているのが印象的だった。

 私は最初の21kmを序盤、34kmまでが中盤、その後ゴールまでのおよそ8.5kmを後半と、何となく分けている。そして中盤の記憶が、あまり残っていない。序盤のような余裕はまるでないが、後半ほどはきつくない、それゆえ印象が薄いのだと思う。公式記録によると、32.5kmを通過したのが、3:11:10とある。

  • 33km 7:23 タイムが一気に落ちる。このへんが精神的には一番きつい。
  • 34km 7:01 ゴールまで「キロ7分以内をキープ」を目標とする

 私にとってランとは、勝手に目標を立てて、それを実現するか、実現できなかったら目標を下方修正してその実現を目指して、というよく分からない遊びである。

 34kmの地点で、だいたい3時間21分くらい。残り約8.5kmをキロ7分未満で走ったら、4時間20分を切れる。4時間20分を超すのはいやだ。前回の袋井フルが4時間24分だったので、それとあまり変わらないではないか。しかし34kmの地点ですでに、キロ7分で走るのに必死である。残りの最も過酷な8.5km、キロ7分未満でおよそ1時間、キープできるのか。未知の世界である。

横浜マラソン序盤

 横浜マラソンをしみじみ振り返ろうと思う。まずは結果から。GPS時計によるマイ計測だと、42.48kmを、4時間17分12秒かけて走った。42.195kmじゃないのかと思われるかもしれないが、直線上を走るわけではないのでこうなる。つくづく0.195kmのオマケは余計だ。

 そのまま走れる格好で横浜駅東口に到着。スタート地点の道路に移動する。わたしはCブロック。すでに路上にたくさんのランナーが溢れている。こんなに大きな大会に出たのは初めて。天気予報は曇りだったが、晴れ模様で嬉しい。気温は7度くらい。寒い。使い捨てのポンチョをかぶっている人も多かった。自分も次回はそうしようと思う。こういうのは大会に出ないと具合がわからない。

 8時ごろから主催者の挨拶が始まった。横浜市長、神奈川県知事、大会プロデューサーなどが喋る。寒いなか勘弁してくれと思うのだが、大規模に交通封鎖する罪への罰なのだろう。ただし黒岩知事が「今回は私も走ります」と言ったときは、「おおー」となった。

 なにゆえ61歳の知事が初マラソンを走るのか。42.195kmは人気取りのために走るような距離ではないし、そもそも「ランナー票」なんてものは大してないだろう。きっと、走ってみたいと思ったのだろうなと思う。分かるぜその気持ち。その欲望に共感する。

 晴れた横浜の空を眺めながら、消防署のブラスバンドが「負けないで」を演奏したとき、軽く落涙した。風邪が治ってよかった。どうせ自分は本番当日には風邪が治る、俺はそういう運命の子、と思っていたらやはり治った。ああよかった。平和と健康に多謝である。

 8時半に号砲が鳴る。スタート地点まで皆でのろのろスタート。だがスタート地点がどこか分からない。主催者が「壇上に剛力彩芽さんのいる所がスタート地点です」とアナウンスする。剛力彩芽はどこだ。あいつか、こいつか、とキョロキョロしながら13分走ったところで発見。うーん、テレビで見る通り。

 ランナーが多すぎて大渋滞である。これではタイム出ない。序盤の21kmは

  • 1km 5:50 大渋滞
  • 2km 5:32
  • 3km 5:27
  • 4km 5:34
  • 5km 5:20
  • 6km 5:14 たぶんこの辺で渋滞がわりと緩和
  • 7km 5:10
  • 8km 5:16
  • 9km 5:29 この辺でキロ5:25に調節を意図
  • 10km 5:27
  • 11km 5:21
  • 12km 5:21
  • 13km 5:18
  • 14km 5:27 バナナ食った?
  • 15km 5:25 
  • 16km 7:59 このうち2:30はトイレ。待ち時間に補給ジェル
  • 17km 5:45 いったん止まると遅くなるのだ
  • 18km 5:12 それを回復すべくペースを上げた
  • 19km 5:22 ああいかんと思って元に戻した
  • 20km 5:38
  • 21km 5:49 なんか脚に疲れが出始めている? この先で折り返し。

 計算してないのだが、たぶんこれで1時間56分くらいだと思う。残りの半分も同じペースとはいかないので、4時間切りは無理が事実上の確定。もしやまさか、あわよくばと思っていたが、まあ、そうはいかないよね。諦めが肝心だ。

 残り21kmの方針は「徐々にペースが落ちながらも粘ること」にする。というか、まあ、本番は34kmあたりからなので、そこまでいかに無難に辿り着くかがわたしの当面の勝負。

風邪が治ったっぽい

 昨晩から風邪が治ったっぽいので、横浜マラソンに出場してきた。ほぼ地元民なのでらくちんだ。

 朝7時に起きて、ご飯食べて着替えたら7時半に家を出て、8時にスタートラインに到着。荷物は預けず、持ち物はSuicaと千円札一枚だけ(ポケットに入れる)。

 8時半に号砲が鳴るが、大規模大会のため、スタートラインに行くまで13分かかる。消防署のブラスバンドが「負けないで」を演奏しており、それを聴いて、ふと落涙した。わたしは中年になってからセンチメンタルで、ノスタルジックだ。傍目にキモかったらすまない。8時43分にスタート。

               【42.195kmを中略】

 色んなことがあって、13時にゴール。タイムは4時間17分14秒だった。まあ、期待以上でも以下でもない順当な結果だと思う。GPS時計で1kmごとのタイムが分かるので、また時間があるときにここでぐだぐだ書きたい。完走メダルとタオルをもらった。嬉しい。参加証のTシャツは今後、ジムで活用する(重いものを持てないのは僕がランナーだからですというエクスキューズになる)。

 14時には帰宅して、テレビ神奈川で横浜マラソンの中継を見た。私ごときが言うのはおこがましいが、6時間かけて完走する人などは、本当に大変だと思う。6時間も走り続けねばならないのだ。スピードが遅いと体温も高くなりにくい。たぶん3時間30分とかで走れる人は、フルマラソンは本当に楽しいのだろうなと勝手に想像する。

 風呂に入って、昼寝しようとするものの、明らかに交感神経が優位で寝付けない。心身が興奮しすぎているのだ。

 脚の筋肉はダメージを受けているが、ケガはない。体調も、軽い頭痛以外は、まあ普通である。総体として、自分にしては上手く走れたと思う。今回は人生二度目のフルマラソンだ。なんでこんなものをやるのか、よく分からない。よく聞くことだが35kmあたりから本当につらい。何度も歩こうかと思った。

 ランを続けるべきなのかも、さっぱり分からない。フルで4時間を切りたいという夢はあるが、そのためには練習時間を増やさないといけないだろうし、仕事に差し障りが出るのは望んでいない。そもそもそんなことする必要性がない。この点、筋トレは体力上の便益と、精神上の多幸感が得られて、効能が分かりやすいのだが。

 フルマラソンは「大人のお祭り」だが、それでもお祭りというには過酷と思う。せめて距離の端数を削って40km走にしてほしい。そのほうが大概のランナーにとっては快苦のバランスが改善すると思う。

 この点ハーフマラソンはバランスのよい競技だと思う。エネルギー補給のことを考えなくてよいし、後半の悲痛や苦悶が存在しないし、レース後は普通に仕事できる。競技が日常に溶け込むわけだが、それは非日常のハレではないということでもある。

 これでわたしの今シーズンは終わり。充実の一言であった。今後のレースの予定は何も入れていない。暖かくなった5月ごろ、ハーフに出たいと思う。

やはり風邪が治らぬ

 風邪が治らない。明日の横浜マラソンに出られるか五分五分な気がする。出場の可能性を残すため、今からみなとみらいまで、前日の受付に行かねばならない。当日受付とかオンライン受付とか、できないのか。そもそも受付しないマラソンだってあるだろう。なにゆえ前日に受付?

 ああ、しかし、こんなことなら周りの人に、「横浜マラソン出るんすよ!」とか言わなければよかった。あああ、出場して、やはり体調が悪くて途中でリタイヤとか、絶対にしたくない。

 と「うわああああ」と思っていたら、土曜日の今日、岩波書店から宅急便でゲラが届いた。岩波新書別冊『18歳からの民主主義』に寄稿する「選挙」6000字のゲラだ。月曜日には返送してくれとな。

 マラソン後の体調で仕事ができるとは到底思えないので、さっそく休日返上でゲラの直しをする。たくさん直すところがあった。んで、さっき、終えた。ついでに、3月15日に締め切りの6000字(某財団機関誌)の原稿の、最初の1000字を書いた。マラソン後に入院しなければ、たぶんこれはギリギリ間に合うはず。

 ただし3月15日の確定申告に間に合うかがよく分からない。3月17日は一橋『経済研究』寄稿のゲラ直し締め切り。んで、4月10日はいま大詰めの作業をしている単行本まる一冊の完成予定日で、4月28日は9400字(某新聞社の雑誌)の原稿締め切り。

 そんなこと、できるのだろうか。ちょっと無理ではないのか。

 これは真面目にいうのだが、原稿が締切に間に合うかどうかは、編集者の腕前によるところが大きい。適度な心理的圧迫とか普段の笑顔とか、全人格的圧力の問題である。みんな頑張ってオラに書かせてほしい。

 とりあえず今からマスク付けて、みなとみらいに行って、受付してくる。