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コンドルセ考案の議員選出法

 すまないが最初に4/29の日誌を書く。今日は休日で、妻の友人が子供連れで遊びに来てくれた。家庭でお役御免となった私は、多摩川沿いをサイクリングすることにした。サイクリング自体を目的とする初めてのライドで、多摩川大橋あたりから立川近辺まで、多摩川沿いを往復80kmほど走った。休日を自分一人のために使えることは滅多にない。ぜひ妻の友人は毎週子供連れでうちに遊びに来てほしい。

  • 行きの40kmはひたすら楽しかった。冒険みたいだ。
  • 途中で昼ご飯を食べようと店を探したとき、鮨屋とマックしか周りになかった。カロリーと炭酸飲料が欲しいのでマックに入った。
  • 60kmを過ぎたあたりから、少しお尻が痛くなった。レーパンを履いた方がよいのだろう。レーパンはちょっと抵抗あるが、快適なのだろうなあ。
  • 「多摩川沿い」と言っても、全ての沿いに道が整備されているわけではないし、未舗装路もある。遠回りしているうちに、何度か道を間違えた(これはこれで楽しいのだが)。しかし聖蹟桜ヶ丘あたりで道に迷ったとき、けっこうな坂道を登り、足がむちゃくちゃくたびれて、そのときは心が無感情化した。
  • たぶん60kmくらいから疲れはじめた。聖蹟桜ヶ丘でのダメージが出てきた。集中力が下がると、きっちり左側を走るべきところが、少し右寄りになって、よくない。
  • そこから20kmくらい、真っ直ぐ走った。なぜ自分はこんなことをしているのかと思うが、そもそもサイクリング自体が目的である。いったい自分は自分の行為を選択しているのか・自由意志はあるのか、などと考え始めるのは疲労した証拠だ。
  • ふと見付けた銭湯に入った。実は今日の目標は「長距離サイクリングして、ふと見付けた銭湯に、ぶらっと入る」だったので、完璧である。下調べはしていないし、スマホも持ってないが、これを期待して着替えとタオルを持参していた。ただしその銭湯にコーヒー牛乳を置いてなかったのが残念だった。お湯は気持ちいいが、体力は回復せず。そこから自宅まで2km、歩道をのんびり帰った。

 思ったより、ものすごくクタクタになった。初心者だからか、ロードじゃなくクロスバイクだからか、普通の服装・靴だからだろうか(多分どれもだろう)。しかしこれだけクタクタになってもケガがないとは、つくづく自転車は体にやさしいなあと思う。とりあえずはいまの自転車で出来ることを全部やっていこうと思う。今度は海に行きたい。潮風で髪をばさばさにして、沿岸をゆっくりと走って、移動販売車で売ってるアイスクリームを食べたい。

 やっと本題。このブログは、私の雑記と学術的な内容が、抱き合わせ販売のようにセットで書かれています。どちらがメインなのかよく分からないが、後者であるべきだろう。

 以下に、『多数決を疑う』のために書いたものの、扱う内容があまりにマイナーなため、最終的に載せなかった節「コンドルセ考案の議員選出法」を貼ります。関心を持たれた専門家は、気が向いたら公理的分析をしてみてください。Society for Social Choice and Welfareにいる、その筋の玄人には受ける話だと思います。入手しやすい参考文献はこれ:

Condorcet: Foundations of Social Choice and Political Theory

Condorcet: Foundations of Social Choice and Political Theory

 

  

コンドルセ考案の議員選出法

 

 本章の最初の節で、憲法草案を起草したコンドルセは独自の議員選出方式を考案していたと述べた。その方式は歴史の彼方に追いやられたようなもので、いまなおほとんど誰も注目していないが、実はかなり興味深いものである。

 当選する議員の数は10人、有権者は1000人としてそれを見ていこう。なお、前節までの議論では当選者は1人として話を進めてきたので、ここで複数の当選者を選ぶ話はこれまでのものとやや異なる。コンドルセによる議員選出方式は次のプロセスにより成る。

  •  [候補者の決定] 各有権者は、候補者として1000人のなかから何人でも推薦することができる。その数が多い上位30人が候補者になる。これは実質的には、第一章で言及した是認投票である。
  • [投票] 各有権者は、30人を三段階で、ファーストクラス10人、セカンドクラス10人、サードクラス10人にランク付けして申告する。
  • [開票第一段階] まずはファーストクラスの票だけを見る。すると1000人が10人の名前を書いているので、10000票があることになる。この10000票のなかで、501票以上を獲得した者のうち上位10名がまず当選する。なお、この501票とは、有権者1000人の過半数を意味する。そのような者、つまり501票を獲得する者が10名に満たない場合、つまり残りの定員がある場合は、次の段階へ進む(第一段階で誰も当選せず、残りの定員が10名全てという事態も起こりえる)。
  • [開票第二段階] ファーストクラスとセカンドクラスの票を見る。ただしここでは両クラスの票を全く同価値のものとして扱う。すると1000人が20人の名前を書いているので、20000票があることになる。このなかから第一段階で当選した者への票を全て除き、そのうえで過半数の501票以上を獲得した者の上位から残りの定員を埋めていく。ここで定員は必ず埋まるのでプロセスは終了する。

 この手法のもとでは、当選するどの候補者も、落選するどの候補者に対してもペアごとの多数決で勝つことができる。いわば複数の勝者がいる場合でのペア勝者規準を満たすわけだ。ペアごとの比較を重視する、実にコンドルセらしい手法だといえるだろう。

 開票第一段階でファーストクラスの票を優先する点だけが、ボルダルールに近い。実際、コンドルセはこの方式の説明で「もし私たちが順位にウェイトを付けたいのであれば」と言葉を添えており、ボルダの発想に歩み寄りの姿勢を示している。ただしここで行うのは、あくまでファーストクラスの票のなかで過半数を獲得する者を見付けることであり、ボルダルールのようにポイントで順序を付けることはしない。

 さらに、第二段階でファーストクラスとセカンドクラスの票を等しく扱うという点を見ると、この手法は決してボルダ的ではない。そしてその特徴ないし工夫こそが、ペア勝者規準の充足を成立せしめている。

 コンドルセは、ペア比較の重視とそれに伴う多数派の尊重について、一貫した姿勢を保っているといってよいだろう。では、なぜコンドルセはそこまでしてペア比較にこだわったのか。そしてまた多数派を尊重するとはいったい彼にとって何を意味していたのか。

 そもそもの話をすれば、ペア比較だろうが何だろうが、少数派の人は自分と異なる多数派の意見になぜ、またいつ従わねばならないのだろうか。その正当性の根拠は何か。これを理解するためにはコンドルセによる陪審定理、および彼が強く影響を受けた同時代の思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』に立ち入る必要がある。そしてそれらの議論は、望ましい集約ルールが何であるかの探究を超えて、近代市民社会を支える根本理念を、私たちに強烈に照射することになる。