子供に勉強を教える話の続き

 子供に勉強を教える話の続きです。相変わらず算数を教えており、怒らないことが課題である。

 先日娘が設定した、勉強中に「お父さんが怒ったらボールペンで顔にシワを描く」ルールは、今のところ効果をあげている。つまりわたしはこのルールのもとで怒らなくなった。

 これは「ボールペンでシワを描かれるのが嫌だから」怒らない、というインセンティブの話だけではないと思う。肝心なのは、わたしと子どもたち計3人からなる社会で、「お父さんが怒るのはダメなこと」という規範が形成されたことだ。

 この規範が採用された社会では、わたしは怒る感情が暴走しそうになったとき、「ああ、これはダメなことだ」という気になる。なんせそれは規範に反するのだ。だから怒る感情が暴走しそうなとき、暴走する前に、その感情があああクソぐぐぐと抑制されていく。怒るという行動が抑えられたというより、怒る感情が抑えられた。

 子どもは親のそんな感情の推移をすぐに見抜くから、その場は、ますます「怒ったらダメなのよお父さん」な雰囲気になる。わたしは少し舐められた気になるが、そんなものは些細なコストである。学習効率と精神衛生のベネフィットのほうが、はるかに大きい。誰かこういう知恵をわたしに体系的に教えてほしいと思うが、家政学(Oikonomia)の古典でも読めばよいのだろうか。

 合間の休憩に3人で「チョコもなかジャンボ」を2個食べた。コンビニで買ったアイスラテをコップに注いで大きな氷を入れると、夏が来たような気分になる。

森永製菓 チョコモナカジャンボ 150ml×20個
 

ツイッターを始めた話

 今さらながらツイッターを始めた。長年わたしはSNSに「食べ物を見せびらかすところ」という負のイメージをもっており、やっていなかった。偏見といえば偏見である。

 しかし最近、一日に三回「ツイッターで宣伝をお願いします」「やってないのです」「あ、そうですか。。チッ」なやり取りをする日があった。舌打ちは実際に舌を鳴らさなくとも、心に冷たい音が聞こえるものだ。三度目の舌打ちを心で聴いたときに、ツイッターしてないことが罪であるような自覚が生まれた。おれは悪いことをしているのだ。

 罪の意識とは、かくも社会状況に依存するのだ。そして有罪状態の心から脱するため、恐る恐るツイッターを始めた。いまは楽しみ方を模索中である。

 わたしは食べ物の写真は載せないだろうが、新しく買ったランシューズの写真は載せそうな気がする。食べ物よりはランシューズのほうが、自慢しても下品ではない気がするのだが、案外とそうでもないのだろうか。

 SNSで承認欲求や自己顕示欲が満たされる、というのは分かる。しかし自分にとってそれら欲求は仕事上の大きな動力なので、SNSで小刻みに満たされては勿体ないとも思う。

 まだ諸機能をどう使えばよいか分かっていない。「リツイート」は表示機能なので分かりやすいが、「いいね」は signal なので発する塩梅が難しい。たぶん「ブロック」は使わない。『多数決を疑う』はネトウヨから二度バッシングを受け炎上したが、その度に本が売れて増刷になったからだ。わたしと相性が悪い人の存在が、わたしに有利でありうる、というのは市場の不思議である。

 明らかにゼミ生と思われる人々の鍵付きアカウント群がある。薄目で中身を覗いてみたいが、少なくとも表面的には良好なリアルの関係を壊したくないので、フォローを申請していない。見る者と見られる者との関係が著しく非対称だということで、安倍公房の『箱男』を思い出した。 

箱男 (新潮文庫)

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多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

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子供に勉強を教える話

 自分の子供たちに算数を教えている。昨夏あまりの出来なさに愕然として、「これはもう俺が教えねば、自分の老後は暗い」と思い立ったからだ。それ以来、週に1~2回算数を教え続けている。習慣化するのは得意なので苦にならないが、機会費用が高い。多大な時間と労力、そして気力がいる。

 これら資源をビジネスに投入したら、大儲けできる気がする。だが、いま、子供たちにこの資源を投入するほうが、わたしの長期の人生コスパ的には好ましいと思うのだ。

 わたしの子供たちは、わたしに出来ないことが出来たり、わたしの持たない良さを持っている。寛容とか、自然な優しさとか、素晴らしいと思う。だが、やはり、勉強くらいはできてほしいと思う。

 親が子供に勉強を教えるときの最大の問題は、怒ってしまうことだ。とにかく腹が立つ。多分これは、わたしに特有のことではないと思う。だから塾講師は、塾のほうがよいと言う。だが塾講師は、わたしほど学習にコミットしてくれるだろうか。わたしほど、この子たちを教育する強力なインセンティブがあるとは思えない。

 だが出来ないと怒ってしまう。わたしが怒ると、息子はびびって泣き、娘は「お父さん怒らないで」と注意する。わたしは注意を一応きくが、なんせ親のほうが子供より立場が強いので、怒り続けることはできる。そんなことをしても誰も得をしないのだが、自制だけでは自分をコントロールできない。

 そこで今日は娘の発案で「一回怒ると、お父さんの顔に一回ボールペンでシワを描く」ということになった。怒るとボールペンでほうれい線をえぐられるのだ。よくこんなことを思いつくものだと感心するが、このような発案をさせる程度には、わたしたち親子は問題を共有できている。油性マジックだと明日の仕事に差し障りが出るので、ボールペンが最適ということになった。

 この約束のもとで、わたしは今日一度も怒らずに済んだので、よい制度が導入できたと思う。制度なしで制御できる自分になれたらベストだが、これでセカンドベストである。 

 

雑感(後半)GENKING「しくじり先生」

(前半からの続きです)

 だがその後、わたしはあるトラブルがきっかけで、自分の感覚がおかしくなっていることに気づいた。ついでにいうと、わたしに似た消費形態をもつ妻も随分おかしくなっていた。夫婦そろっておかしいのだから、どうしようもない。

 結局プラチナカードを解約して、同系列の普通のカードに移行した。何十件もの自動引き落としをそのカードで行っていたので、カードの移行は非常に面倒だった。移行先も同系列だというのに、カード会社から作業のヘルプは一切なかった。オンラインの個人ページも、解約と同時に見られなくなった。高額な年会費を吸わせてくれない脱会者にはとことん冷たい。

 わたしはカードでの支払いを最小限にとどめ、現金での支払いを徹底するようにした。アマゾンに入力したカード情報も削除して、代引きで買うようにした。代引きだと手数料が毎回324円かかる。だがこれが「買い物のコスト」になって、アマゾンでの買い物回数が大幅に減った。手数料がかかる代引きのほうが、結果として安上がりなのである。便利でおいしいオンラインスーパーOisixも解約して、近所のスーパーで買い物するようにした。

 そしてヴィトンの黒い財布をやめて、ダイソーの100円の財布に変えた。ペラくて安っちい、おもちゃみたいな財布だ。いい年した大人がこんな財布を使うのは恥ずかしい、という感覚がわたしにはある。そう感じるたびに、自分の魂のレベルの低さを確認できもする。こうした「改革」の積み重ねで、わたしの自転車操業は数カ月かけてソフトランディングした。行動経済学の知見をいろいろ活用したような感じである。 

 以前、あるIT企業の研究会で、ある方が「今後お金はペーパーレス化が進展して、現金は将来、電話でいうと黒電話みたいになる」と発言された。ニュアンスとしては、現金で決済なんて馬鹿馬鹿しい、といったようなものであった。だがやはり、現金払いと、カード払いとでは、人間の消費行動はかなり異なるように思う。

 GENKING氏は「カード枠が貯蓄額のように感じていた」と番組で言っていた。これは極端な感じ方ではあろうが、現金とカードで、予算制約の認識の仕方が変わるというのは、多くの人に当てはまるのではないかと思う。

 自分は自分をコントロールできている、ような気がする。だから自分の認識が変わったことに、あるいはカード会社に変えられたことに、自分ではなかなか気づけない。なんせ認識は変わるものではなく、変えるもののはずなのだから。そのはざまに自己破産の陥穽が口を開けて待っている。恐ろしいことだと思う。

雑感(前半)GENKING「しくじり先生」

 毎週日曜の夜に、テレビ朝日の「しくじり先生」を欠かさず見ている。人生でしくじった有名人が、なぜしくじったのか、心のどこに隙間があったのか、本人が魂で教えてくれる教育的価値の高い番組だ。

 5月29日の回は、タレントのGENKING氏がしくじり先生であった。わたしは同氏がテレビに出はじめたとき、いったい何でこの人はこんなに豪華な暮らしができているのか不思議に思っていた。だが当時、彼はカード地獄のまっただなかで、1000万円の借金があったという。SNSで見栄を張るため、セレブな暮らしを演出していたとのことだ。

 怖い、怖い、怖すぎる。何が怖いかというと、自分がSNSをやったら、同じようなことをしそうな気がする。わたしの浅薄な心がほんとうに怖い。

 買い物をするとき、クレジットカードで支払うと、お金を使ってる感が少ない。どれだけ使ったのかを意識しづらい。わたしは人生のある時期、カードの支払いで自転車操業みたいな生活をしていた。どの時期かをいうと友人知人にドン引きされそうなのでいえない。そのときは、ああ今月は支払えないとなると、一時的な多重債務で乗り切っていた。

 32歳のころ、ある有名プラチナカードのインビテーションが届いて、所持するようになった。当時わたしは国立大学の准教授で大した収入はなかったが、毎月のカード限度額は500万円と設定されていた。インビテーションが届いたときは、虚栄心が刺激された。

 プラチナカードの実質的な効能は、コンシェルジュのチケット手配や、高級ホテルに泊まったときの部屋のアップグレードだと思う。だがわたしに最も影響したのは、黒いカードを会計で差し出すときの、甘い優越感だったように思う。お金を支払うたびにささやかな虚栄心が満たされるのだ。わたしは馬鹿で愚かだし、カード会社は狡猾だと思う。もちろん馬鹿と愚かを喰いものにする狡猾が悪い。

 そしてわたしは毎日1ミリづつ狂っていった。もちろん狂っていっている自覚なんかありはしない。コーヒーにミルクを一滴ずつ入れていくと、いつの間にかカフェオレになっているようなものだ。予算制約の感覚はなくなっていった。

(後半に続く)

日経新聞5/27「活字の海で」

 5月27日の日本経済新聞・朝刊の書評面「活字の海で」のコーナーで、拙著『ミクロ経済学入門の入門』がとりあげられています。わたしの「新書というジャンル」への愛がこもったコメントも載せてくれています。よろしければご覧ください。

 今日はTBSラジオ「久米宏のラジオなんですけど」に出演した。自分ではまだオンエアを聴いておらず、夜に静かに一人で聴くつもりだ。センテンスを短く、テーマを広げないようコンパクトに喋ったつもりだが、上手くいったかよく分からない。コンパクトにし過ぎた、無難に喋り過ぎた気もする。

 帰り道には、色々と「もっと、ああすればよかった」のように思うし、及第点に達しているならそれでよいとも思う。だがむろん何が及第点かは分からないし、及第点ではダメだとも思う。ひとり反省会である。家族と焼肉に行っても、不意に何か思い出して「うわぁー」と軽く叫び頭を抱えたりする。自意識過剰と向上心との境い目がよく分からないが、とりあえずは目の前の焼け過ぎたカルビを早く食うべきであろう。

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

久米宏ラジオなんですけど5/27

 5月27日に、TBSラジオの「久米宏ラジオなんですけど」にスタジオ出演します。番組は13時から14時半までです。どうぞご聴取ください。私の出演は13:15~13:45くらいの予定です。

 たぶん前回よりは、上手く喋れるようになっている、はずなのだ。短く喋って、きちんと会話のキャッチボールをしたい。ラジオやテレビで喋るのは、学会や講演で喋るのと、全く違う。そんなことに気づくのに、あるいは教えてもらう機会に遭うのに、ずいぶん時間がかかった。新しいことをするチャンスが与えられるのは、何よりありがたいことだ。

 6月23日に慶應丸の内キャンパスで講演「多数決ではない決め方と、多数決の正しい使い方」をします。よろしければお越しください。

朝日中高生新聞5/21号

 5/21付け今週号の「朝日中高生新聞」1-2面に、長めのインタビュー記事「誰もが納得いく選挙は?」が掲載されています。ASAで購入できるようなので、ご関心のある方は、どうぞ入手のうえ、ご覧ください。カラーの顔写真も載っていて、酷薄な笑いを浮かべているよ。

朝日学生新聞社 ジュニア朝日

 わたしは朝日小学生新聞を読んで育ったが、そのころ中高生新聞はなかったと思う。あったら親がとっていただろう。うちには朝日新聞、朝日小学生新聞、週刊朝日、AERAが揃ってたのだ。

 小学4年生のとき、独りで週刊朝日の「過保護な親チェックリスト」をやったことを覚えている。子供心に「ひょっとして自分は過保護に育てられているのではないか」と思っていたのだ。

 誌面のチェックリストはみるみる埋まって、どうも自分の親は過保護であり、それゆえ自分は堕落しやすいことが分かった。そして「親が過保護だという自覚のもとで育とう」と決意した。ただし、いま思うと、自分は発育が危なげで、要保護な子どもだったような気がする。

 だから何というわけでは全くないが、とにかく小学4年生というのは、決してあなどれない生き物なのだ。自分の娘はいま小学3年生である。彼女は最近、ものすごく色々なことを考えている様子だ。ときどきわたしは、彼女の自我が、理解力が、心の奥底が、怖いと感じる。生まれる前から知っている自分の娘が、どうも自分とは別の人間のようなのだ。

 わたしも自分の子どもから「うちの親は過保護だ」と思われたりするのだろうか。あるいはすでに思われているのか。それとも保護が足りないのだろうか。「新しいゲームソフトを買ってほしければ、テストの問題を解いたあとの見直しを徹底せよ」と要求するのは子供を舐めた行為で、高圧的だと思われているのだろうか。他人の考えていることはさっぱり分からない。 

『ミクロ入門の入門』雑記3(現状報告)

 おかげさまで新刊『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)の出足が好調でございます。うちの近所の本屋では売り切れていたが、どうやったら再入荷してくれるのか分からない。今日は書店員さんに「ここにあった、みくろけいざいがくの岩波新書の、さ、再入荷は・・・」と聞きそうになったが、挙動不審になる自信があったのでやめておいた。 

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

  そんななか『多数決を疑う』(岩波新書)の10刷りと、『マーケットデザイン入門』(ミネルヴァ書房)の4刷りが決まりました。実にありがたいことだ。とくに3,000円以上する『マーケットデザイン入門』が7年にわたり堅調に売れていることは、快挙と言ってよいと思う。手前味噌だが、自分の書いた本のなかでは、この本の完成度が一番高いと思う。世界初のマーケットデザインの本であり、2010年の出版当時はおそろしいほど売れなかった。 

マーケットデザイン入門―オークションとマッチングの経済学

マーケットデザイン入門―オークションとマッチングの経済学

 

  はじめて本を出版したのが2008年なので、自分も今や書籍市場のプレイヤーとしては10年選手に近い。現在のさまざまな方々との交流は、本を出していなければありえないことだったので、ほんとうに本を書いてよかった。

 わたしはいわゆる「世間」とか「大衆」が好きだ。自分自身、世間のなかで生きているし、まぎれもなく大衆のひとりである。だから、自分が読みたいものを書けば、それなりに世間様が受け入れてくれているのだと思う。これは自分が凡庸であることの証左だが、幸運なことであって、非凡な人は大変であろうと思う。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

 5月3日(水)NHK・Eテレ22時「オイコノミア」は、おかげさまで好評でございました。どうぞ5月10日(水)の放送分も、ご覧いただけると幸いです。

 

『ミクロ入門の入門』雑記2(マンガ大賞)

 今年の「マンガ大賞」が発表された。わたしは絶対に『アオアシ』というサッカーマンガが一位だと信じていたが、一位は『響』という文芸部マンガであった。『アオアシ』は四位である。ちなみにわたしの『多数決を疑う』は新書大賞の四位なので、四位とは私のなかでは特別な良い順位である。

 いちおう『響』を買って読んでみて、うん、まあ、これも面白いと思った。でも自分は『アオアシ』のほうが、圧倒的に面白いと思う。何がどう面白いのか細々説明したいのだが、ネタバレになるのでやらない。でも正直、他の候補作と比べても、こいつは圧勝だと思うのよ。

 最近は、また一巻から最新刊の八巻までを読み返して、これまで気づいてなかった作者の工夫に新たに気づいたり、以前と同じところで落涙したりしている。テーマやストーリーも、絵や構図も抜群で、ものすごい知力と技術が投入されている。ほんとうに考えられている。

アオアシ(1) (ビッグコミックス)

アオアシ(1) (ビッグコミックス)

 

 メジャー雑誌の看板マンガには、ものすごい工夫が詰め込まれている。わたしは、そこでの工夫のいくつかは、学問的な新書でも採り入れられると思う。一例はページレイアウトだ。本を見開いたときの構図をどう作るか。そんなことを学者も考えたほうがいいと思う。文章ありきではなく、見開き2ページのなかで図を含めたレイアウトを意識して、文章を作成するのだ。

 わたしはこのことを、新條まゆ先生の傑作『バカまん』に出会って学んだ。そうした細かな工夫の集積が、『ミクロ経済学入門の入門』の読みやすさを改善しているはずだと信じている。

バカでも描けるまんが教室―新條まゆの(裏)まんが入門 (フラワーコミックススペシャル)

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ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

 ところで『ミクロ経済学入門の入門』の著者が、Eテレ「オイコノミア」に出るよ! 本よりまともな人か、そうでないのかよく分からないけれど、とりあえず素で出てるから、「あーあ、この人、こんなんなんだー」ということが分かるよ。感心するのもがっかりするのも自由だから、とにかくまずは視聴してみよう。5月3日と10日、いずれも水曜日の夜10時からです。

『ミクロ入門の入門』雑記1(パン食い競争)

 新刊『ミクロ経済学入門の入門』が、今日いよいよ発売です。それに伴い、このブログに初めてお越しになる方もいらっしゃると思うので、ここが何なのか簡単に解説します。 

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

 このブログは日常雑記の置き場です。まれに言論めいたことを書くこともありますが、あくまで試し書きや、備忘録のようなもので、かなり適当です。一番多いのはマラソンにかんする記述だと思います。こちらはわりと真剣に記録や感想をつけています。

 更新は頻繁ではありません。でも約2年半続けているので、記事は結構たまっています。最初から読み進めると、たぶん次のような流れになっていると思います。

  • 『多数決を疑う』を書く途中で中年おじさんの体がガタガタになる。
  • 肉体改造というか、延命のための体づくりをはじめる。
  • ランニングを始めて10km走に出場するもひどくヒザをこわす(回復に3カ月)。
  • ハーフマラソンで2時間切れない。
  • フルマラソンで4時間切れない。
  • 2017東京マラソンで4時間切り達成。

 そんなこんなで駄文をいろいろ書き連ねていますが、自分がこれまで一番気に入っているのは幼稚園の運動会での「パン食い競争」の回です。自分以外の人が読んで面白いのかは不明ですが、わたしの周りではわりと評判がよかったものです。少なくとも情熱は込められている。

ミクロ経済学入門の入門(岩波新書)

 4月21日に岩波新書『ミクロ経済学入門の入門』を公刊します。ヨコ書きの選択肢もありましたが、やはり新書はタテ書きであるべきでしょう。眼球運動はタテのほうがしやすいしな。というわけで、タテ書きでミクロ経済学の新書です。カモン!

 岩波書店の「営業部だより」に寄せた短文をここに載せておきます。 

 経済学の入門書にちょっとした革命を起こしたい、というのが本書の作成のねらいです。通常ミクロ経済学の本というと、数式や複雑な図がたくさん出てきて、読むのがめんどくさいです。僕は経済学者ですが、それでも数式や複雑な図を追うのはめんどくさいです。あと、あんまり文体が硬い本は、読むのがしんどいほうです。

 この本はタテ書きの新書で、「入門の入門」なんて名乗っています。簡単な図と、わりとくだけた文章で説明が進みます。とても薄いので、たぶん短時間で読み終えられて、完読の充実感を味わいやすいと思います。

 でも内容はけっこうきっちりしています。標準的な均衡理論から、応用的なゲーム理論、さらにはIT社会を理解するためのネットワーク外部性まで扱っています。格差と不平等についても概念と測り方を説明しています。

 経済学に関心があるあなた、ミクロ経済学の授業が分からなくて困っているあなた、そして何となく興味をもってくれたあなたに、この本をおすすめします。第一章は「僕はコーラが好きだ」の一文からはじまります。あなたがコーラを好きでも好きでなくても、きっとすいすい読み進められると思います。

 さあみんな、4月21日には本屋へGOだ!

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

  そして5月3日と10日に、続けてオイコノミアに出演します。Eテレ水曜の夜10時からの番組です。3日は社会的選択理論、10日にはマッチング理論を扱います。面白いよ!

日比谷カレッジ4/28講演

 来たる4月28日(金)の19時から日比谷図書館の「日比谷カレッジ」で講演します。タイトルは『「多数決」を問い直す!―多数決が開けた21世紀のパンドラの箱―』です。定員200名の会場に、すでに90名以上の申し込みをいただいています! 先着順ですので、関心のある方は、ぜひお早めにお申し込みください。『多数決を疑う』の2017年ヴァージョンの話をする予定です。

http://hibiyal.jp/data/card.html?s=1&cno=2951

2000 年のアメリカ大統領選挙ではゴアがブッシュに優勢するなか、「第三の候補」ネーダーが参戦した。ネーダーは優位に立っていたゴアの票を致命的に喰い、ブッシュは「漁夫の利」で勝利をつかむ。翌年アメリカは同時多発テロの攻撃を受け、その後ブッシュは反撃の延長線上にイラク戦争を開始する。フセイン政権は倒したが、イラクの統治は安定しない。結局フセインの残党が勢力を盛り返して、それが「イスラム国」の母体となった。排外主義が世界を渦巻く2016 年、イギリスはEU からの離脱を国民投票で決め、アメリカはトランプ大統領を選出した。

いまこそ多数決を正面から論じるときだ(講師談)
多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

  そしてこの講演あたりの時期に、岩波新赤版の二冊目を出します。まだAmazonに書影はあがっていませんが、『ミクロ経済学入門の入門』といいます。私なりに新境地の勝負作。 文字通りミクロ経済学の本で、入門の入門です。なんだ入門の入門て? わたしもよう分からんが、Don't think, feel ! 

 『決め方の経済学』は、台湾に引き続き、中国本土での翻訳が決まりました。いやあ、なんか、われながらグローバル人材だわあ。

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

 

肌ツヤのよい話

 先日、鏡を見たらやたらと自分の顔の肌ツヤがよい気がした。頬に赤みがさしており、チークを入れたようだ。昨日の撮影のメイクが残っているのかと思ったが、顔を洗っても頬の色味は変わらない。妻には「何か特別な美容をはじめた? 正直に教えて」と言われた。いったい自分は若返ったのかと思いつつ、体に妙な寒気がする。

 体温を測ると39度2分あった。肌の色味がよくなったというより、高熱で顔が赤くなっているのだ。そういえば子供がインフルエンザに罹っており、それがうつったに違いない。

 内科を受診して、インフルエンザB型と判定され、吸入薬をのんだ。風邪のあらゆる症状が体に出ており、大量の薬を処方してもらった。いささか投薬が過剰ではないか、医療財政的に問題ではないかと、ぼんやりした頭で思う。

 自分は年末にインフルエンザA型にかかっている。その3か月後にB型にもかかるとは思ってなかった。ワンシーズンで二度インフルエンザにかかるのは初めてだ。両方とも、子供の小学校経由で感染した。大学でインフルエンザをもらったことはない。おそらく小学生は、大学生と違って、インフルエンザに罹患しても登校するのだろう。大学生が小学生より賢いことの一つの証左である。

 体温が39度を超すと、怖いと感じる。下手をすると死ぬのではないかという思いがする。たとえばいまフルマラソンを走ったら自分は死ぬであろう。先日若くして病気で急死した女性アイドルのことが頭をかすめる。その無念について思いを馳せる。

 そんなこんなで家で寝込んでいる。幸いにも一家全員インフルエンザなので、皆が寝込んでおり、あまり家族のことを人間的にかまう必要がない。食事はすべて出前である。さっきは辛口のカレーを注文したが、あれた喉に辛さが染みわたって失敗であった。

選挙マルシェ基調講演3/11

 本日18時半から公選法の改正を目指すイベント「選挙マルシェ」で、基調講演「多数決を疑う」を行います。会場は、飯田橋の東京ボランティアセンター・市民活動センターAB会議室です。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

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  今週末は、この講演と、岩波新書『ミクロ経済学入門の入門』のゲラと、NHK・Eテレ「オイコノミア」の準備で、忙殺されている。

 『決め方の経済学』は台湾に続き、中国本土でも翻訳が出ることになりました。ありがとう! 

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

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