パン食い競争(前編)

 一年前、子供の幼稚園の運動会でひとつのことを心に誓った。来年こそパン食い競争で一等賞を獲るのだと。すなわち私は今日のパン食い競争で勝利を収めてみせねばならない。

 今日は子供の幼稚園の運動会だった。早起きして家族より先に会場に行って場所取りをして、パン食い競争へエントリーした。快晴の朝だ。足元は、靴下は足王で、靴はアシックスGT 2000 NY。いずれもラン用で、子供の運動会にお父さんが履いていくためのものではない。 ところで「足王」は「ソッキング」と読む。いいセンスだ。

 パン食い競争は、なんせパン食いというくらいだから、単なる短距離走ではない。レースの途中で、紐にぶら下がっているパンを口でくわえ取る必要がある。誰が発明したのか知らないが、遊戯性と競技性と馬鹿馬鹿しさが見事にブレンドされた、すごい種目だと思う。2020年の東京オリンピックでも取り入れてほしい。

 パン食い競争で一番重要なのは、一発でパンを捕らえることだと思う。一発目を外すと、それでパンが揺れ始めて、二発目で捕らえるのが難しくなるのだ。あれは気持ちも焦るもので、いきおい手を使ってしまう大人も散見されるが、子供の教育上よろしくない気がする。

 ではどうすれば一発でパンを捕らえられるか。私は一度きちんと停まることだと思う。いったん停止して、大きく口を開けてパンをくわえるのは、簡単である。だがパンを、速度を落とさないまま運よく捕らえようとするから失敗するのだ。これは私が昨年の自分の失敗から学んだことである。

 パン食い競争は、だいたい(1)15m走る、(2)パン食い、(3)15m走る、のような構成であろう。私の作戦「(2)で一回きちんと停まる」のデメリットは、(1)の終盤と、(3)の序盤が遅くなることだ。

 しかし(1)の終盤といっても、そもそも超短距離なので(2)の急停止はできるはずだ。肝心なのは(2)のあと、(3)を急加速することではないか。

 パン食い競争とはいかなるゲームであるのか、考えてゆかねばなるまい。まずそれは、ゴールがごく間近に見える超短距離である。だから走ったままパンをトンビのようにさらいたくなる。特に妻子が見ている前だとその誘因は高まる。だがそれらは全て罠である。間近なゴールも、妻子も、いい格好したい自分の心も罠だ。ここは大人らしく落ち着いて、停止してパンをくわえるべきだ。パン食い競争は、精神的には、それに気付き疾走の誘惑に打ち勝つゲームである。これに弱い人間はパンを一発目で捕らえられない。

 そして肉体的には、急加速と急停止を行うゲームである。そのためには、普段からの鍛錬はもちろん、きちんとしたソックスとシューズが必須である。というわけで、私は先述の装備にしたのであった。服装は全身アシックスにしたいところだが、TPOをわきまえて普通の格好にした。もう40歳だし社会化されているのだ。半パンとボーダーのTシャツを着た。

 パン食い競争は、午前のスケジュールの終盤あたりにある。11時を過ぎたころ、参加者に呼び出しのアナウンスがなされ、私は集合場所へと向かった。もちろん全身のストレッチは済ませてある。こんなに真剣にパン食い競争に臨んでいるのは私だけなのだろうか、と思いながら周りの参加者を眺めてみると、うん、私だけっぽい。

(以下、後編に続く)