雑感(後半)GENKING「しくじり先生」

(前半からの続きです)

 だがその後、わたしはあるトラブルがきっかけで、自分の感覚がおかしくなっていることに気づいた。ついでにいうと、わたしに似た消費形態をもつ妻も随分おかしくなっていた。夫婦そろっておかしいのだから、どうしようもない。

 結局プラチナカードを解約して、同系列の普通のカードに移行した。何十件もの自動引き落としをそのカードで行っていたので、カードの移行は非常に面倒だった。移行先も同系列だというのに、カード会社から作業のヘルプは一切なかった。オンラインの個人ページも、解約と同時に見られなくなった。高額な年会費を吸わせてくれない脱会者にはとことん冷たい。

 わたしはカードでの支払いを最小限にとどめ、現金での支払いを徹底するようにした。アマゾンに入力したカード情報も削除して、代引きで買うようにした。代引きだと手数料が毎回324円かかる。だがこれが「買い物のコスト」になって、アマゾンでの買い物回数が大幅に減った。手数料がかかる代引きのほうが、結果として安上がりなのである。便利でおいしいオンラインスーパーOisixも解約して、近所のスーパーで買い物するようにした。

 そしてヴィトンの黒い財布をやめて、ダイソーの100円の財布に変えた。ペラくて安っちい、おもちゃみたいな財布だ。いい年した大人がこんな財布を使うのは恥ずかしい、という感覚がわたしにはある。そう感じるたびに、自分の魂のレベルの低さを確認できもする。こうした「改革」の積み重ねで、わたしの自転車操業は数カ月かけてソフトランディングした。行動経済学の知見をいろいろ活用したような感じである。 

 以前、あるIT企業の研究会で、ある方が「今後お金はペーパーレス化が進展して、現金は将来、電話でいうと黒電話みたいになる」と発言された。ニュアンスとしては、現金で決済なんて馬鹿馬鹿しい、といったようなものであった。だがやはり、現金払いと、カード払いとでは、人間の消費行動はかなり異なるように思う。

 GENKING氏は「カード枠が貯蓄額のように感じていた」と番組で言っていた。これは極端な感じ方ではあろうが、現金とカードで、予算制約の認識の仕方が変わるというのは、多くの人に当てはまるのではないかと思う。

 自分は自分をコントロールできている、ような気がする。だから自分の認識が変わったことに、あるいはカード会社に変えられたことに、自分ではなかなか気づけない。なんせ認識は変わるものではなく、変えるもののはずなのだから。そのはざまに自己破産の陥穽が口を開けて待っている。恐ろしいことだと思う。