幽体離脱した話

 わたしはいわゆるオカルトを信じていない。そのうえで言うのだけれど、幽体離脱したことがある。生きたまま魂だけ抜け出すアレのことだ。深夜、部屋のなかに魂だけ浮かんで、寝ている自分を見下ろすやつ。世の中のどれくらいの人が、それを経験したことがあるのか、よく知らない。

 幽体離脱は、眠りが浅いレム睡眠のとき、脳の状態がヘンになって起こること、というのが科学の定説だそうだ。

 それが自分に起こったのは、およそ6年前、子供が小さいときだ。夜間に何度も泣かれて起こされて、ミルクを飲ませて寝かして自分も寝て、と繰り返してるときに、幽体離脱していた。

 気が付くと、寝ている自分や家族を見下ろしているのである。割とはっきり意識があって、わたしは「ああ、これは幽体離脱だ!」と部屋に浮かびながら思った。身体はもちろん動かない。幽体離脱しながら、次のように思った。

  • ああ、何度も起こされて寝て、と繰り返しているうちに眠りがヘンになったから、脳がこのような状態になったのだ。なるほどこれが、いわゆる幽体離脱か。
  • 身体が動かず、金縛りになっている。気持ち悪い。
  • これを心霊現象と捉えるのは自然である。わたしも脳の状態うんぬんの豆知識がなかったら、これを心霊現象と捉えるかもしれない。ああ、しかもその豆知識が本当に正しいかは不明なのに、信じている自分は滑稽ではないか。

 気が付くと、目が醒めていた。畳の部屋に敷いた布団に横たわったまま、身体に汗が滲んでいる。いまだ夜は深いまま、周りは寝息を立てる家族たち。暗いなか、実物の部屋と、あれで見たものは、細部が色々と異なるものだと思う。ああ、あれが幽体離脱かあとぼんやり思って、再度のレム睡眠についた。

 その後、同じことは経験していない。それを脳の状態の異変と捉えるか、心霊現象と捉えるかは、ほとんど趣味の問題のように思う。もう一度体験したいかというと、もう結構である。

 そのとき小さかった子供もいまは小学生になり、夏になると「怖い話をして」と言ってくる。わたしは怪談話に詳しくないし、もういい年した大人なので、お化けや幽霊よりも本物の人間のほうがよほど怖いと思う。そしてこの幽体離脱の話を子供にすると本当に怖がるだろうから、黙ったままでいる。