書いてた途中の記録(その6)

 (その5)からの続きです。これは近刊の岩波新書『多数決を疑う』を書いていた途中の個人的な日記のようなものですが、その本の内容とは全く無関係に著しく脱線しています。

 

 1月末の10km大会に出た。タイムは57分、膝にはちょっとダメージだが生活への支障はなし。この57分は、遅いのはよいとして、途中トイレに寄ったのがダメだった。寒かったのと、久々で緊張していたこと、何より朝食でコーヒーをがぶがぶ400ml飲んだのが原因だろう。馬鹿みたいだ。自分でもいったい何をやってるんだと思うが、真面目にやってこうなので、馬鹿というより滑稽の領域だと思う。

 2月の課題は「途中でトイレに行かないこと」になった。ところがこの回は周囲のペースに釣られて最初の2kmを過度なオーバーペースで走り、早々に膝が痛くなった。GPS時計を付けてはいるが、釣られているときはオーバーペースに全然気付かない。気付いたときには、うわあ失敗した、と思った。本当なら膝が痛くなったらその場で棄権したほうがよい。しかし、たかが10km大会で棄権はいやだ。途中でストレッチしながら、ごまかしごまかし、せめて1時間を超さないよう、59分台で走り終えた。爽快感はない。泣きそうな気持ちだ。それから2週間は膝の養生のため走らなかった。

 この辺りで、悪いのは自分の膝ではなくランニングだと考えを切り替えるようになった。ランニングは体に悪いのだ。ランニングは全身運動だと言われはする。確かに、はじめの頃は長距離走ると、翌日は背中に筋肉痛が出た(これは筋トレを続けるうちに無くなった)。だが、ランニングは予想以上に「全身も」使うだけで、膝に高い負担がかかるのは間違いない。もっと膝にやさしい手軽な有酸素運動はないのだろうか。

 私は年末年始にあだち充の諸作を一気読みした後、年明け1月には渡辺航「弱虫ペダル」へと移行していた。「弱虫ペダル」は週刊少年チャンピオンに連載されている、累計1300万部を超す大人気の自転車マンガだ。本の出版を千部単位で考える自分には、1300万とは想像を絶する数字である。これを読んで自転車を始める人も多いらしい。たしかに弱ペダには自転車で走ることのプリミティブな愉しさが活き活きと描かれている。青春スポ根ものとしても面白い。自転車は膝にもやさしそうな気がする。 

弱虫ペダル 39 (少年チャンピオン・コミックス)

弱虫ペダル 39 (少年チャンピオン・コミックス)

 

  私は毎月の10km大会にいつもママチャリで行っている。弱ペダを読みはじめてから、会場の自転車置き場に、スポーツ自転車が多いことに気付くようになった。かっこいい。それまで自転車を「子供イスがついているもの」と「ついてないもの」の二種類でしか分類していなかったが、ここで「スポーツ自転車」と「そうでないもの」の分類も加わるようになった。晴れた日に、水面光る多摩川沿いの会場に、こういう自転車でシャーッと来られたら、どんなにステキなことだろう。想像するだけでうっとりだ。

 しかし弱虫ペダルで出てくるロードバイク(競技に出られる)はちょっとこわい。値段も高いし、揃えるものも多そうだ。クロスバイク(もっとカジュアル)なら値段も控えめだし、ロードと比べると色々気楽そうだ。通勤にも使う街乗りメインなら、クロスでよいのではないか。

 周りの人に聞くと、ロードに乗っている人は「クロスに乗るとどうせロードが欲しくなるから最初からロードで」と、クロスに乗っている人は「クロスのほうが街乗りに適しているしこれでも十分爽快」のように、それぞれ自分の乗っているほうを勧めてきた。まあ、当たり前だ。

 私みたいに完全な初心者が最初からロードに乗って、その良さをきちんと分かるのだろうか。パンク修理くらいは自分でできるようになってからロードに乗ったほうがよいのではなかろうか。

 そもそも自分は住宅ローンや子供の教育費、さらには日本育英会の奨学金返済まで抱えている(いつ返し終えるのか謎だ)。仮に入門用のロードバイク一式が20万円で済むとしよう。おそらく妻はその買い物に反対しない。むしろ歓迎してくれる可能性が高い。自分も20万円のものを買う理由ができるからだ。彼女はそれでバッグをひとつ買うだろう。私は昔から、バッグに高い金をかける女(一括りですいません)の気持ちが全く分からない。顕示消費なのか。ヴェブレン読んで自分を相対化してほしい。 

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

 

 とにかく計40万円の出費はできない。とりあえずクロスバイクから始めてみよう。ではどのメーカーにするか。私のなかで、各自転車メーカーは、弱虫ペダルの登場人物と密接に結びついている。例えばSCOTTは今泉、LOOKは真波、GIANTは福富のように。Bianchi(ビアンキ)は荒北だ。箱学の荒北先輩か。悪くない。ビアンキ特有の青緑は、チェレステグリーンという春先にぴったりの美しい色だ。フレームの繊細なカーブもいい。イタリアのブランドなのか(製造国は多分アジアだろうが)。

 こういうのは、バッグに対する女性(と一般化するのはもちろん乱暴ですが)の想いと同じようなものなのだろうか。両者の欲望は同型の構造を有しているのか。だがバッグは、ギアも変速機も付いてないうえ金属製品でもないので、それは認めるわけにいかない。あれはただの布袋や革袋で、異論は受け付けません。

 色とブランドで「チェレステのビアンキ」に惹かれるのは、多分きわめて初心者的なことなのだろう。だが私は初心者としての自分を全肯定したい。そもそも自転車の性能と言われてもよく分からないし、スポーツ自転車に乗ったこともないのだ。雑誌を読んだら剛性とか精度とか色々論評があるが、ちんぷんかんぷんである。分かるのは見た目とブランド名くらいだ。

 もちろん自転車としての性能は高いほうがいい。しかし私は、自転車の性能だけでなく、かっこいい自転車で颯爽と競技場に現れる自分のセルフイメージを購入したいのだ。性能の高さはそのイメージ強化に資するものの、消費の欲求を支える全てではない。

【さらに次回に続く】 

ブランド―価値の創造 (岩波新書)

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