書いてた途中の記録(その3)

 この(その3)は、(その1、2)から続けて読まないと、あまり意味が分からないと思います。本を書いてたときの日記的なものですが、書くことと関係ない内容が(とても)多いです。

 

 9月になり、予定通り月末に『多数決を疑う』の草稿を書き終えた。今作は9月末に草稿を書き終えて、1か月筆を置いて、その後3か月改訂に使う予定としていた(実際その通りにした)。

 編集者に原稿を渡し、同業者に「気が向いたら読んで」と案内のメールを送り、いったん手を放した。そして月例の「規範理論研究会」で、草稿の一部を発表した。規範理論研究会は、小ぢんまりとして温かい研究会だ。後藤玲子先生や鈴村興太郎先生がいて、パッションがある。概ね好意的に発表を聞いていただけたように思う。

 月末には多摩川沿いで行われている10km走に出場することにした。日常的に5-8kmは走っていたので、10km走るのは問題ないはずだ。

 結果は、タイムは52分だったが、膝を痛めた。おそらく52分は39歳初心者の自分にとっては悪くないタイムだ。だが膝が痛くなり、その日から2週間以上、生活に不自由することになった。階段を下るのがキツくて通勤も辛い。これではきちんと走れたことにはならない。

 「走って膝を痛める」ということの意味が、自分はそれまでさっぱり分からなかった。「走れるんだから、痛まないでしょう」と単純に思っていたのだ。だがこれは「借金できるんだから、返済できるでしょう」というようなものだと知った。 

 膝の痛みが少しおさまると、表参道にあるアシックスのランニング専門店に行った。膝痛は走力不足ではなく、シューズのせいだと思ったのだ。店員さん(どう見ても上級ランナーだ)は親切で、足を3D計測してぴったりのシューズを探してくれた。しかし、ここでキロ5分(時速12km)用のシューズを選んでしまった。自分はキロ6分(時速10km)用を選ぶべきであったように思う。なんせ約キロ5分で10km走って膝を痛めたのだ。

 書店には市民ランナーによるマラソン体験談の本やマンガが結構ある。しかしどれも、著者らはあまりケガをしていないように見える(だからマラソンなんか走れるわけだが)。自分の場合、たかが10kmである。ケガなんかするわけがない。これは過信というか無知のなせるわざだが、そのときの私なりに合理的な判断だったのだ。

 ランナーの作家さんは、マラソンではなく、10km走やハーフマラソン中心の本も描いてくれないだろうか。「はじめました系」の作家さんはなんだかんだで結構レベルが高いと思う。若い人ではなくて、できれば中年の人が、いきなり走って膝を壊す話とか、リアルに知りたい。自分に近い低レベルランナーによるカタルシスを欠く実録が読みたい。それなりに裾野の広いマーケットがあるように思うのですが。 

マラソン1年生

マラソン1年生

 

  キロ5分用のアシックス「ゲルフェザーグライド2」は、履くと足が前に進む、よいシューズであった。スニーカーとは全然違う。これなら膝を傷めずに走れるはずだ。だが自学自習は効率が悪い。初心者はきちんとしたコーチにつくべきだった。しかし私もランニングにそんな時間は取れない。平日は仕事があるし、休日には家庭がある。そんなに本格的に走りたいわけでもない。自学自習を続けることにしたが、そのせいか翌月に痛い目に遭うことになる。

 この時期は猪口孝先生に招いていただいたコンファレンス用の発表論文を作成していた。猪口先生が学長の新潟県立大学主催「実証政治学の最先端学術会議」というもので、私は実証政治学どころか規範経済学の人間なのだが、さまざまな社会科学の人達と交流させてもらうのは本当に嬉しい。また、これとは別の方々と、今年から有斐閣で社会科学の研究会を始めさせてもらっていて、いつか本になると思う。「社会科学」をもっと大切にしたい。

 そのコンファレンス論文の題材は都道328号線問題とメカニズムデザイン。来月開かれる日本経済学会の招待講演でも話す予定だ(2015年5月、新潟大学)。『多数決を疑う』から派生的に書いたものだ。私は日本語で一般向けの本を、英語で専門家向けの論文をと割り切って書いているが、これは前者が後者を生み出したケース。初めて定理と証明がない論文を書いたが、誰かに面白がってもらえるのかどうか知らない。

Sakai, T.  "Considering Collective Choice: The Route 328 Problem in Kodaira City"

http://www.geocities.jp/toyotaka_sakai/kodaira0323.pdf

 

 この「書いてた途中の記録シリーズ」は、私が飽きるまで、まだ続きます。続ける理由はノスタルジーと自己満足以外には何もないです。もう自分を中年とアイデンティファイしたので、過去を振り返ったり、懐かしがったりするのに抵抗ないです。むしろそれに積極的なくらい。次回は10月からのぶん。

アイデンティティと暴力: 運命は幻想である

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