書いてた途中の記録(その2)

 前回「書いてた途中の記録(その1)」からの続きです。個人的な執筆記録なのですが、かなり話が脱線しているので、途中から読んでも意味が分からないと思います。

 

<昨年8月の続き>

 走ると言っても、私は完全な初心者なので、やり方が分からないし、やり方が分からないことさえ分からない。とりあえず近所の小山を周回することにした。信号がないので走りやすい。一周およそ2.5kmのコースを、2周することから始めた。ランニングシューズというものも知らなかったので、いつも履いている普通のNIKEのスニーカーで走った。厳密にいうと、ランニングシューズの存在は知っていたが、スニーカーとの区別がついていなかった。

 夜、子供を寝かす準備が出来てから、だいたい21時くらいから走り始める。ところで、うちの子は小さい時から、寝る準備が出来たら、放っておくと勝手に寝床へ行って寝る。寝かしつけはいらない。これは割と他所の家庭からうらやましがられる所だ。どうしてこれが可能になったのかよく分からない。

 一週間をだいたい「ラン、ジム、休み、ラン、ジム、休み」のようにエクササイズのスケジュールを組んだ(これだと6日だが)。最初のうちは、ジムの翌日は筋肉痛で走れないので、ランの次の日にジムという順番は大切だった。それと、超回復期間を2日間取るため、ジムとジムのあいだを2日は空けた。私は「超回復」は信じている。

 真面目にそのようなスケジュールを守り続けると、もちろん弊害が出てくる。仕事時間が減るのだ。着替えやら移動やら何やらしていると、90分くらいかかる。

 私は書くのがそんなに早くない。60分で800字が目安である。90分を週に4回ということは、一週間で4800字ぶんをエクササイズに費やしていることになる。これは機会費用が高い。3000字で雑誌記事になるし、10万字あったら一冊の本になる。読書時間も減った。そもそも仕事をきちんと続けられるためにエクササイズを始めたはずなのだが、それが逆効果になっている。ショートスパンで見る限り、生産性は落ちた。

 生産性低下は好ましくない。しかし、おそらくこうしたエクササイズは、私にとって趣味になり始めたのだ。私はもともときわめて無趣味な人間で、仕事だけしていても全く苦痛ではないが、それでも昔から趣味のある人をうらやましく思っていた。人生が楽しそうに見えるからだ。 

無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫)

無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫)

 

  「仕事が趣味」という言い方には抵抗がある。立身出世に直結するような「趣味」は目的に資する手段であり(あるいは手段的側面が強く)、純粋な趣味ではないだろう。私が欲する趣味のあり方は、その行為自体が目的となっているようなものだ。

  8月は慶應で、大垣昌夫さんと規範経済学のコンファレンスを開催して、案外と忙しかった。それに伴いJapanese Economic Reviewの規範経済学特集号の編集作業をした(自分はゲストエディターで、今年6月に刊行予定)。そして初夏のころから國分功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)を熱心に読んでいて、これは実に立派な本だと思った。

 何となくだが、「良い本」や「良書」という言い方をするのが好きではない(他人からそう評価していただくのは素直に嬉しいが)。良し悪しを決定する上位の審級に自分を置くように感じるからだ。「面白い本」という言い方は、便利なので使いはするが、「面白さ」を基準とすること自体に違和感がある場合も多い。その点「立派な本」だと、秀でたものを下から仰ぎ見ている感じで、心の立ち位置としておさまりがよい。

 『多数決を疑う』の第5章で都道328号線問題を扱うことにした。これは投票率37%の選挙で勝利した小平市の小林市長が、都道建設にかんする住民投票の開票に投票率50%を求め、それが満たされなかったため開票されなかったという問題だ(これは問題のごく一部に過ぎない)。最後は話をメカニズムデザインにつなげて話をクローズさせ、構成が完全に固まった。 

来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)

来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)

 

  この「書いてた途中の記録」シリーズは、しばらく、私が飽きるまで続きます。次回は9月のぶん。