年度末

 いつもながら久しぶりに更新します。2015年に入ってからは、内閣府の経済理論研修で毎週「ミクロ経済学」の講義を担当していました。月曜朝8時半から10時までの授業です。官庁で講義を受け持つのは初めてで、最初は慣れないこともあったのですが、非常にやりがいがあり、また愉しいものでした。分量もきっちり2単位分あったので、終わってみると淋しい。7月には司法研修所でゲーム理論の講義をします。

  今日は年度末の3月31日ですが、大学で教え始めて丸10年が経つことになります。光陰矢の如しとか、少年老い易く学成り難しとか、そんなことばかり思う。そして私は、大学生に講義するのは好きな方だけれど、さすがに10年でマンネリ化してきた。大学以外のところで講義の機会を持つと、何を・何のため・誰に教えるか改めて考えるので、よいリフレッシュになります。これをもとに2015年度の慶應での講義も色々リニューアルするつもり。

 その研修と同時期に、岩波新書『多数決を疑う ――社会的選択理論とは何か』を書き上げていました。1月30日に脱稿して、2月半ばから最近までゲラと格闘していた。いまは完全に校了して発売を待つばかり。

  いつもなら校了すると、スッキリして別の本を書き始めます。だから出版する時には、販売状況は気になっても、自分の書いた内容には、意外と関心が薄れている。しかし今回はそうならない。とにかく好きに書いたので、自分で読むと面白いのだけど、他人が読んでどう思うのかよく分からない。その辺がもやもやするというか、何となく気持ちを切り替えられない。有難いことに、すでに割と多く予約をいただいています。今度、内容を紹介します。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

 最近いただいた面白い本を二冊。まずは盛山和夫・浜田宏・武藤正義・瀧川裕貴(著)『社会を数理で読み解く ――不平等とジレンマの構造』(有斐閣)。ちょうど最近、ミクロ経済学の授業に不平等と社会的ジレンマをどう組み込むか考えていたので、とても参考になります。秋学期に学部ゼミの教材として読ませていただきます。ちなみに盛山先生には大昔、コンファレンスで『リベラリズムとは何か』(勁草書房)にサインをいただき感激したことがある。

社会を数理で読み解く -- 不平等とジレンマの構造

社会を数理で読み解く -- 不平等とジレンマの構造

 

  もう一つ。比例代表制だと有権者は「政党に投票する」わけだけど、私はあれが何をしているのかよく分からない。「選択肢に投票する」のは意味が分かる。「政治家に投票する」のも、まあ、その人の見識や判断力に対してということで、いちおう意味が分かる(「信託」という)。しかし「政党に投票する」となると、これは難しい。そもそも政党は人間の集団であり、そのなかで投票(社会的選択)がなされる容れ物であり、また必ずしも民主的に運営されているわけではない。そして国会で法案を審議するとして、党議拘束があると、コンドルセ陪審定理の前提条件「最終的には各自が自分の頭で考えて判断する」が満たされなくなってしまう。一体あれは何なのだ。

 社会的選択理論家にとって、政党は相当難解な対象だと思う。そんなこんなな疑問を日々持つ私に対して書かれたような本が、砂原庸介(著)『民主主義の条件』(東洋経済新報社)です。勉強になるし、自分の疑問があながち的外れでないことも分かって有難い。社会的選択理論に関心がある人にも、この本はとても面白いと思う。

民主主義の条件

民主主義の条件