選挙マルシェ基調講演3/11

 本日18時半から公選法の改正を目指すイベント「選挙マルシェ」で、基調講演「多数決を疑う」を行います。会場は、飯田橋の東京ボランティアセンター・市民活動センターAB会議室です。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

  今週末は、この講演と、岩波新書『ミクロ経済学入門の入門』のゲラと、NHK・Eテレ「オイコノミア」の準備で、忙殺されている。

 『決め方の経済学』は台湾に続き、中国本土でも翻訳が出ることになりました。ありがとう! 

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

 

東京マラソン・サブ4達成!

 東京マラソンに出走してきた。倍率12倍をくぐりぬけての当選だ。昨晩まで微熱があったが、今朝起きたら引いていた。一年前の横浜マラソンのときもそうだった。知恵熱みたいなものだろうか。最初は体調は悪くなくとも、悪くなったら棄権しよう、あるいは歩いて完走しようと考えていた。

 こんど詳しくレビューを書くとして、結果は3時間58分19秒。まさかの、念願の、サブ4達成であった。後半にまったくスピードが落ちなかった。結果は下記のとおりだ。5kmをつねに27分台で安定して走っている(29分台の2回はトイレでのタイムロス)。 

地点名
Point
スプリット (ネットタイム)
Split (Net Time)
ラップ
Lap
通過時刻
Time
5km 00:43:06 (0:27:04) 0:27:04 09:53:06
10km 01:11:01 (0:54:59) 0:27:55 10:21:01
15km 01:40:44 (1:24:42) 0:29:43 10:50:44
20km 02:08:28 (1:52:26) 0:27:44 11:18:28
25km 02:36:25 (2:20:23) 0:27:57 11:46:25
30km 03:06:06 (2:50:04) 0:29:41 12:16:06
35km 03:33:55 (3:17:53) 0:27:49 12:43:55
40km 04:01:53 (3:45:51) 0:27:58 13:11:53
Finish 04:14:21 (3:58:19) 0:12:28 13:24:21

 いつかはサブ4をと願っていたが、現実的には困難だと思っていた。これまで走った3回のフルマラソンは、どれもタイムが4時間17分から25分のあいだであった。

 わたしはいつも前半に飛ばして、後半にひどく失速する。せっかちな性格がそうさせるのと、普段の練習では長距離を走らないがゆえのクセだ。だが東京マラソンはすごい人数のランナーがいるので、前半に飛ばしようがなかった。なんせ36000人も走っており、路上は早朝の新橋駅みたいに混んでいるのだ。 

 そして気付いたら後半でも脚がかなりフレッシュに残っていた。そんで「もしやサブ4いけるか?」とラップを計算して、そのとおりに走れた。「市民ランナーあるある」のひとつだと思うが、走りながらよく割り算をする。

 わたしは「練習しないで40代のスポーツ未経験者がサブ4を達成する方法」という新書でも出すべきではないだろうか。めっちゃ気合い入れて科学的根拠のない本を書けるんだけどなあ。こんど出版社の人に相談してみる。

 三田の近くでゼミ生が応援してくれていた。どうもありがとうございました。

アロー逝去

 ケネス・J・アロー教授が一昨日、享年95歳で亡くなられた。まさに巨星墜つ、である。3月8日に同氏の旧著の翻訳『組織の限界』(村上泰亮 訳)が、ちくま学芸文庫から出版されるが、わたしはそれにささやかな解説を寄せた。できれば解説の末尾に追悼文をもぐりこませたかったが、すでに印刷が済んでおり、できないようだ。

 今回あらためて村上泰亮の訳文を再読して、この格調の日本語は、いまの日本人は誰も書けないだろうと思ったりした。わたしは自分の書く日本語を、「村上春樹以後」のものだと思うし、ラノベがよく売れる時代の日本語だとも思う。村上泰亮のとはまったく似ていない。もちろんそれでかまわないし、わたしなりに「いま」の時代の日本語を書いてみたい。

組織の限界 (ちくま学芸文庫)

組織の限界 (ちくま学芸文庫)

 

 そんな作文意欲に動かされて新著を作成した。『ミクロ経済学入門の入門』という。予定どおり工程が進めば4月22日に、岩波新書の一冊として公刊される。わたしはすでに脱稿しており、いまはイラストレーターさんが多量の図表を作成している。

 なんだ「入門の入門」とは音が悪い、と思われるだろうか。たしかにそうかもしれない。でも字面は良いと思う。視覚的なインパクトがあると思う。タテ書きのミクロ経済学の新書で、非常に薄い。第1章は「僕はコーラが好きだ」という一文からはじまる。

アロー『組織の限界』ちくま学芸文庫

 20世紀を代表する経済書のひとつ、ケネス・J・アロー『組織の限界』(村上泰亮 訳)が、3月に「ちくま学芸文庫」から出版されます。これまで同書の翻訳は岩波書店から出されていましたが、現在は版が途切れていました。私の学者人生において、最も大きな影響を受けた本のひとつです。そしてこの度の文庫化で、解説を書く機会をいただきました。光栄すぎる。

 アロー、村上泰亮、さらには筑摩書房への私の愛が詰まった解説文になっていますので、よろしければご覧ください。書影はまだあがっていない。 

組織の限界 (ちくま学芸文庫)

組織の限界 (ちくま学芸文庫)

 

  『現代思想』の3月臨時増刊号に「美しいセオリー」をお題に寄稿しています。こちらもよろしければどうぞです。「美は重要ではない」というエッセイを寄せています。 

現代思想 2017年3月臨時増刊号 総特集◎知のトップランナー50人の美しいセオリー

現代思想 2017年3月臨時増刊号 総特集◎知のトップランナー50人の美しいセオリー

  • 作者: 養老孟司,茂木健一郎,池田清彦,長谷川眞理子,渡辺政隆,長沼毅,山極寿一,佐藤文隆,黒川信重,円城塔,大澤真幸,小泉武夫,吉村作治
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/02/14
  • メディア: ムック
  • この商品を含むブログを見る
 

 

『現代思想』美しいセオリー

 青土社『現代思想』特集「美しいセオリー」の4000字原稿の締切が、今日である。昨日から書き始めて、いま先ほど書き終えた。もちろん構想自体は以前から練っていた。何時間か寝かせて、もう一度推敲して、今日の日付のうちに編集部に提出する。正直言って、間に合うとは思ってなかった。ウェーイ!

 年末年始は、大晦日も正月も、ひたすら原稿を書き続けていた。子供の勉強も、宿題以外は、ぜんぜん見なかった。お父さんはこのままだと社会的信用を失いそうで、すでに多少は失っているが、これ以上は失いたくないのだ。

 『現代思想』に寄稿するのは初めてだ。締め切り仕事が山積し、これ以上引き受けると俺は破綻すると思っていた日に依頼が来た。「美しいセオリー」だなんて、お題が良すぎるので迷わず引き受けた。そしてやはり、お題が良すぎるので、すいすい書けた。こういうのは私ではなく編集者がえらいのである。

  もともと自分は締め切りをとても守る。完成度を下げても期日までに提出する。Done is better than perfection が信条だからだ。しかし、どうしようもないときには、お願いして延ばしてもらうこともある。常識の範囲内で頼むので、大抵は許してくれるが、許されないこともある。そして、いま書いている新刊は許されなかった。だがそのおかげで、年末年始は危機感を持って作業に集中し、これは2017年のスケジュールの玉突き的乱れを阻止してくれることになった。岩のように波のように厳しくて温かい岩波書店が好きだ。

 そして自宅にこもれると書き物ははかどると、当たり前のことを実感した。最近、自分の書く能力が低下したと思っていたが、たぶん自宅にこもれなくなっていただけである。要するに、何かを書くにはまとまった時間が必要なのだ。

 今日は福澤諭吉先生の誕生日なので、授業は休講である。塾生諸君に会えないのはさみしいが、今日が休講で助かった。

青土社 ||現代思想:現代思想2017年3月臨時増刊号 総特集=知のトップランナー46人の美しいセオリー

大井ハーフマラソン1/7

 大井スポーツの森で開かれた「品川マラソンフェスタ2017 Winter」のハーフマラソンを走ってきた。こんなのに出場しないで家で締め切り仕事を片付けようかとも思ったが、人生のほうが大切である。

 1周3kmの周回コースを、7周とちょっと走るコースだ。このコースを走るのは3回目。給水は毎周ごとに、水とスポーツドリンクがある。ハーフの距離ならこれで十分と思う。

 埋め立て地の公園をぐるぐる廻るだけの単調きわまりないコースだが、私のように景色を味わう余裕のないランナーにとっては問題ではない。景色は変わらずとも、脚の重さや心のゆとりは時間が経つにつれ変わるから、心象風景は変わる。ドラマはおのれの心のなかにあるのだ。

 今回の予想タイムは1時間48分30秒。だいたいまあ、キロ5分10秒で走れたらそんくらいかな、と思ったからだ。このキロ当たりというのは、住宅でいう坪単価みたいな、ざっくりした目安だ。実際のタイムは1時間49分24秒で、男子の部で45位/147人だった。思ったよりコースの実質距離(直線の一本道を走るわけではないので)が長くて、GPS時計によると21.5kmは走っていた。コースの取り方が下手だったのかもしれない。でもけっこう頑張った。

 こうして1時間50分は切れたわけだが、終盤はちょっときつかった。ゴール後に脚がつりそうであることに気づいた。これではフルマラソンを4時間以内で走ることなど到底できない。7周のうちの4周目くらいから、徐々に脚が重くなっている。最近ひどい練習不足なうえ、たまに走っても10kmだから、長距離走の練習になっていない。2月末の東京マラソンには間に合わない。

 実に困った。で、私にとってフルマラソンとは、こんなことをアレコレ考える遊びなので、いまは自分の実力不足を痛感して楽しんでいるのだ。42kmの走行は、愉しみの一部に過ぎず、しかもそんなに楽しくない。

三田祭金賞

 慶應坂井ゼミの三田論「望ましい三役選出ルールの提案」が、三田祭の論文コンクールで金賞を獲得しました。書いたのは(もちろん)僕でなくてゼミ生です。快挙すぎる。3限の「上級ミクロ」の授業前に教えてもらったので、授業を始めるときに、はしゃいで舞った。ウェーイ! ウェーイ! みんなぁ、ウェイウェイだよぉ!!

 内容は、学級会で「代表・副代表・書記」をどう選ぶかという、社会的選択とジョブマッチングを組み合わせた、かなりオリジナルな論文です。アイデアもとても良いのですが、Rulal Hospital Theoremを上手に活用した理論分析が煌いています。うちのゼミ生はほんとうに優秀で、凄いものだと感心します。

 そんな社会的選択とマーケットデザインな坂井ゼミですが、ゼミではなぜかJohn Rawls『Lectures on the History of Political Philosophy』を読んでいます。僕たちの合言葉は熟議的理性の行使で、ゼミの雰囲気は穏やかなティータイムのようです。

Lectures on the History of Political Philosophy

Lectures on the History of Political Philosophy

 

 坂井ゼミは7期生を募集しています。出願には、成績表と『多数決を疑う』の論評2000字を求めております。これは出願のコストを上げることで倍率を下げるシグナリングという仕組みです。三田でゲーム理論を勉強すると、シグナリングはもっと意味が分かるようになります。

 ゼミ生によると、坂井ゼミはエグゼミではなく、また夜18時にきっかり終わるのが良いところだそうです。要するに割とラクなのだと思います。でも陰山コラムによると、だらだら勉強するのは、勉強しているのではなく、だらだらすることを学んでいるのだそうです。僕も夜は早くおうちに帰って、お茶を飲んだりマンガを読んだりしたいです。毎日『ドルメンX』の4巻はまだなのか?まだ?いつ?みたいなことばかり考えて暮らしています。

家族も自分も幸せになる!  陰山手帳2017 ライト版

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ドルメンX 1 (ビッグコミックス)

ドルメンX 1 (ビッグコミックス)

 

 

「週刊ダイヤモンド」2016年ベスト経済書3位

 『決め方の経済学』が、週刊ダイヤモンド(12月26日発売)による「2016年ベスト経済書」の第3位に選出されました。投票してくださった皆さま、どうもありがとうございました。

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

 さて、相変わらずどうでもいいことを書きますね。地元のマラソン大会は、下は幼稚園から上は80歳くらいまで、幅広い年齢層の参加者がいる。おそらく41歳の自分は、年齢的には参加者の真ん中くらいだと思う。

 少なくとも市民ランナーにとって、長距離走は、誰かに勝つわけでも負けるわけでもなく、他人と比較する競技ではない。そのうえで言うのだが、小学生に負けたくない、と私の心が叫んでいる。

 われながら不思議である。自分の人生で、小学生をライバル視することなど、これまで一度もなかったはずだ。とくに私が学生時代に、海軍兵学校出身の指導教授から一番よく教わったことは「競争相手は同学年の者」である。いかにも早稲田大学らしい、深いような浅いような教えだが、とにかく小学生とは競争しなくてよい。

 でもランの大会で、自分の前を小学生が走っていると、こいつには負けたくないと闘志が沸いてくる。そして大抵の場合、終盤あたりでギリギリ追い越せて、逆転する。終盤での持久力だけは、おじさんのほうが辛うじて上回っているのだ。今から一年後には、私は一歳老いており、この子は一年ぶん成長しているだろうから、そんな逆転はできないだろう。だが今日の時点では被食者を追う捕食者の気分でヒャッハー!

 と、日々を過ごしていたら、風邪を引いてしまった。経験的に、自分はフルマラソン走っても過労しても風邪を引かないが、フルマラソン後に過労すると体をこわす。病院の暗い待合室で長く待っていると、頭のなかに、ちあきなおみ「喝采」のメロディーが流れてくる。暗い待合室 話す人もない私の耳に 私の歌が通り過ぎてゆく。本当に病院の待合室で流したら不吉だが、名曲である。

TBSラジオ12/17「久米宏 ラジオなんですけど」

 今日はTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」に電話出演した。公開生放送をするかしないかを決めるリスナー国民投票へのコメントだ。自宅の電話での会話が電波に乗るというのは、不思議な気がするが、慣れてはきた。予定時間の前に、電話の前に座って、発声練習をする。「なにぬねの」が苦手なので「なねにぬねのなの」には時間をかけ、両手で顔の筋肉をもみほぐす。

 ラジオに出て「今日は上手く喋れた」と思えるとき・そうでないときがある。もちろんそれは自分の主観にすぎない。リスナーがどう思ったかは分からないし、自分で番組を聴きかえす度胸はない。

 ただ、上手く喋れたと思えるのは、話せた内容はともかく、淀みなく喋れて、話に流れがあって、最後をきちんと締められたときだ。そしてこれは、私の技術というよりは、私を誘導するパーソナリティの技術である。久米宏氏が、こうした技術の超達人であることは、いうまでもない。会話後の私には心地よい感覚だけが残る。凄いものだ。

 久米さんほどの高みはもちろん望めないが、自分ももうちょっと日常の会話が上手になりたいと思う。それは性格のみならず、少なからず技術の問題だと思うのだけれど、どうしたら上達するのかよく分からない。

 

 今日で年内の、取材、講演、出演などの喋り仕事をすべて終えた。12月下旬のものは、年明けの1月にまわしてもらった。

 短期的には、新著を一冊書きあげねばならない。その合間に某思想誌に4000字の原稿と、某経済誌に5000字の原稿と、某文庫に6000字の解説を書き、某共著の原稿8000字×3の改訂をせねばならない。どの仕事も喜んで引き受けたものだが、完遂できる気がしない。

 精神的にキツくなると、「実は自分は天才で、あるとき夢のように素晴らしい原稿が短時間で出来上がる」と夢想することがある。もちろん夢想は夢想に過ぎないので、時間をかけコツコツ書き進めるしかない。やりたいことは色々あるし、企画を考えているときは楽しいものだが、実際にやるのは大変である。

 気分転換に犬の散歩をして帰宅すると、郵便受けにアマルティア・セン『経済学と倫理学』(ちくま学芸文庫)が恵投されていた。大学ではなく自宅に本が送られるのは珍しい。どうもありがとうございました。

アマルティア・セン講義 経済学と倫理学 (ちくま学芸文庫)

アマルティア・セン講義 経済学と倫理学 (ちくま学芸文庫)

 

 

「決め方」重版御礼

 12月は様々な会合だらけでひたすら人と喋っている。今日は『多数決を疑う』の講演をします。場所は千代田区の日本大学経済学部です。

学術講演会のお知らせ|中国・アジア研究センター|研究所・研究センター|日本大学経済学部 

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

  先日は、日本経済新聞などが主催の「エコノミスト懇親会」に出席してきた。普段お世話になっている人にまとめて挨拶できたり、今後の仕事の打ち合わせができるので、たいへんありがたい。黒田総裁が乾杯の音頭、途中で安倍首相が挨拶にいらした。あとは、ゼミの卒業生の父上が一人いらした。世の中は狭い。

 そして『決め方の経済学』(ダイヤモンド社)に重版がかかった。初刷りが多めだったこともあるが、重版まで5カ月かかった。これでようやく肩の荷が下りた気がする。読者の皆さまに深謝いたします。 今日あたりから2刷りも書店に並び始めます。

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

 

  この『決め方の経済学』の編集者氏が担当している別の出版物に、陰山メソッドで有名な陰山先生の「陰山手帳」がある。書店で見比べたが、自分には「ライト」のほうがよさそう。というわけで、来年から「陰山手帳ライト」を使うことにした。一行日記をつけるのだ。

家族も自分も幸せになる!  陰山手帳2017 ライト版

家族も自分も幸せになる! 陰山手帳2017 ライト版

 

 

直近のメディア掲載・出演など

 ここ最近の活動でございます。関心のある方はどうぞです。

  • 11月21日の読売新聞・文化面に、国民投票にかんするロングインタビューが掲載されました。誌面だとカラー写真付きだ!

  • 11月25日に集英社イミダスに「ダフ屋のいないコンサートチケット販売は可能か? オークションを用いたチケット市場の効率化」を寄稿いたしました。転売業者が悪いのではなく、転売業者を必要とするコンサート事業者の売り方が悪い。

  • 11月25日の毎日新聞・大阪版で、おおさか維新の会が進めている「大阪都構想への再挑戦」へのロングインタビューが掲載されました。再挑戦にネガティブな見解を述べています。紙面だと写真付き。http://mainichi.jp/articles/20161125/ddn/004/070/052000c
  • 12月3日のTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」に電話出演いたします。だいたい13時15分から13時30分くらいに出演します。

  • 12月6日発売号のサンデー毎日に、多数決に関するインタビュー記事が掲載されます。
  • 12月15日に日本大学の中国・アジア研究センター主催で講演「多数決を疑う」をいたします。詳細はまたここで連絡いたします。 
    多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

    多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

     

     

 

読売11/21文化面、よこはま月例マラソン

 11月21日の読売新聞・文化面に、長めのインタビュー記事が掲載されました。新聞に顔写真を載せていただくことは、しばしばあるのですが、今回は初のカラーです(喜んでいる)。オンラインの無料版には掲載されていないようです。

 んで、もっとまともな配色の服装にすればよかったと、反省している。わたしの研究室のロッカーには一枚ジャケットが入っている。適当なTシャツを着ていても、ジャケットさえ上に羽織れば、白黒写真なら割ときちんと見えるように思う。だがカラー写真だと必ずしもそうではない、ということを今回学んだ。そしてあらためて読売新聞を眺めていると、全体的にカラー写真が多いことに気付かされる。新聞も色々変わっているのだなあ。

 そして話はぜんぜん変わるが、昨日は鶴見川沿いを走る、よこはま月例マラソン10kmの部に出走してきた。目標は、キロ4分45秒あたりを維持して、48分以内でゴールすることだ。結果は、GPS時計によるマイ計測だと

  • 1km 4:27
  • 2km 4:34
  • 3km 4:29
  • 4km 4:42
  • 5km 4:40
  • 6km 4:41
  • 7km 4:45
  • 8km 4:45
  • 9km 4:44
  • 10km 4:41
  • 残余 0.04
  • 計 46:38

であった。公式記録はもう少し遅いだろうが、47分は切っているはずだ。最初はやや飛ばしたが、全体的にきれいにタイムをキープ、快挙の自己新である。

 われながら(というか私にしては)速い、すごいなあ、と感心する。約一年前に49分を切れて、そこから2分ほど速くなった。しかも脚へのダメージが少ないフォームに改善されたと思う。フォームを改善して速くなったのではなく、速くなった結果フォームが改善した。

 そして疑問なのだが、こんなに10kmは速くなっているのに、なんで自分のフルマラソンのタイムは一向に上がらないのだろう。10kmを46分台で走れるならば、42kmを4時間以内で走れてもよいではないか。でも後半が失速してダメダメなのだ。

 あらためて、フルマラソンの練習ってどうすればいいんだ、と基本的な問いかけに直面している。10kmはもちろん、ハーフマラソンでも、フルマラソンの練習にあまりなってない気がする。やはり多くの本や雑誌に書いてある30km走をすべきなのだろうか。しかし一人で30km走る気にはなれないし、30km走は体のダメージが心配で、それならいっそフルマラソンの大会に出たい。

 と、私は何だかんだ考えているだけで一向に速くならないわけだが、こんな風にアレコレ考えるのがフルマラソンの楽しいところなのだ。基本的に、走ってるとき以外は全部楽しい。

朝日2面10/30、名古屋アドベンチャーマラソン

 遅まきながら、10月30日の朝日新聞・日曜版の2面「憲法を考える」の特集で、『決め方の経済学』の議論とともに、私のインタビューが取り上げられました。

 さて、この日は「名古屋アドベンチャーマラソン」というフルマラソンに出ていた。

 今年は春に、政治思想学会と日本経済学会で、すでに2度名古屋に行った。そんな街のローカルな市民マラソンに、なぜ新幹線に乗って宿泊費を出して、42kmを走りに行くのか、われながら謎である。

 レース前日、名古屋に移動するとき本気で「こんなのただのムダ遣いではないのか」と思い始めた。だから新幹線では、指定席より500円安い自由席に座った。だが歩きたくないので名古屋駅からホテルまではタクシーに乗った。合理的なのか。

 スタート会場は庄内緑地公園という所で、庄内川の河川敷がコースだ。「アドベンチャー」ということで、コースの途中には、草むらっぽいところや、橋や、階段もある。河川敷は走り馴れているので違和感はないが、階段はやめてください。

 今回の戦略は「行けるまで行く、落ちるなら落ちるにまかせる」だが、このように勢いと運命に任せる方針を「戦略」と呼んでよいのかは知らない。ただまあ、わたしもフルマラソン3回目にして、ようやくそんな風に、いい加減に考えられるようになったのだ。

 んで、結果は、前半21kmが1時間52分で、後半21kmに2時間30分(!)かかった。計4時間22分である。後半でスピードが落ちるにもほどがある。その「戦略」の通りだが、もっとスローにスピードが減速することを望んでいた(速度は遅くなるが、遅くなりかたは遅い)。これではサブ4を目指すどころか、4時間半を切らずにすんだという感じだ。

 21kmあたりから微妙に脚がつりはじめた。これまでレース中に脚をつったことはないし、諸栄養を摂取しながら走っているので、主因は暑さであろう。周りにもつった脚をストレッチしている人が散見された。まあ、自然との遊びなので仕方ない。

 いつものように「早く終われ」「なぜこんなことに」「歩きたい」と思いながら走ったが、フルはやはり良い。ハーフでは味わえない哀切がある。文学性が高いといってもよいかもしれない。36kmあたりでGPS時計の充電が切れてしまったが、それはそれで良かった。

 終盤はタイムを気にせず、翌日の仕事に残す体力を少し気にして、のんびり走った。翌日の月曜は、朝8:30から内閣府でミクロ経済学の研修をしているから、満員電車と立ち授業で、脚を使うのだ。

 この翌日の授業はきちんとできたので、よかった。その後は三田の研究室に移動して、普通に仕事した。夕方にはセミナーのホストまでした。帰り際の電車のなかで、無事に今日を終えられた安堵とともに、ああ、なんとつまらない大人になったのだろうと思う。

 どうしてこんな風に、自分の役割をこなしたり、子供の歯列矯正を気にしたり、カビの生えた布団を粗大ごみに出したり、そんなことばかり考えているのだろう。もっとこう、豪快で、反骨精神に溢れた、そして反社会的なものになってもよかったのではないかと思う。

 この週はひたすら勤労した。そして翌週の月曜は、内閣府での授業のあと、神保町に移動して、ビジネスホテルのデイユースで書き物のチェックをして、有斐閣の勉強会で本の作成について話し合った。夜にはジムに行き、翌日に風邪を引いた。免疫が落ちていたのだろうか。

 「休む」って何だ。休みを取れているからフルマラソンなんて出られるわけだが、フルマラソンで身体は休まらない、と今回気付いた。

 そんなわけでいまは「ルルアタックEX」を飲んで体を休めている。わたしはトラネキサム酸とトランス脂肪酸をよく混同するが、前者は「ルルアタックEX」に入っている薬物で、後者は「クリスピークリーム」に入っている油である。

【指定第2類医薬品】ルルアタックEX 24錠

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WIRED Vol. 25、よこはま月例マラソン

 最近発売された『WIRED』日本版Vol. 25に、読み物「コンドルセの多数決論:あなたにそれを使う覚悟はあるか?」を寄稿しました。 WIREDとコンドルセ(そして僕)の相性はいいぞ(進歩史観なところであろうか)。われながら力作です。

WIRED VOL.25/特集 The Power of Blockchain ブロックチェーンは世界を変える

WIRED VOL.25/特集 The Power of Blockchain ブロックチェーンは世界を変える

 

  WIREDオンラインには、編集長によるロングインタビューが掲載されています。7000字以上あるよ。夏に山ほど多数決の話をしたり原稿を書いたりして、色々考えて、ここでの話が一つのまとめです。

 今日は横浜月例マラソン20kmの部を走ってきた。GPS時計によるマイ計測だと1時間42分07秒であった。

 わたしは一度でよいのでフルマラソンで4時間を切るサブフォーというものを達成したい。だが、なかなか思うようにならん。そんで、今回の20kmは月末のフルのための練習というか、調整である。

 問いは「自分はキロ5分のペースを20kmを維持できるか?」である。これができるなら、フルの後半で失速しても、どうにかサブフォーが可能な気がする(何となく)。結果の1時間42分で20kmは、平均すると5分5秒である。これだけ見ると、まあ、そんなに悪くない。しかしペースは維持できなかった。これでは残りの22kmをまともにはしのげない。

  • 1km 4:45 お約束のオーバーペースからスタート
  • 2km 4:54 このあたりのペースに身体が慣れている
  • 3km 4:52 無の境地
  • 4km 4:56 無の境地
  • 5km 4:53 無の境地
  • 6km 5:10 水飲んだ
  • 7km 5:03 水飲むとペースが落ちる
  • 8km 4:59 5分を切れた
  • 9km 5:02 あ、5分を切れてない
  • 10km 5:01 ま、いいか
  • 11km 5:04 音楽聴き始めた「ぜんぜんぜんせからぼくはー」
  • 12km 5:07 音楽を聴くと確実に集中力が落ちる
  • 13km 5:07 だが軽快なのでよい
  • 14km 5:03 「おそ松さん」のOPソングはいいなあ
  • 15km 5:07 気分はよい
  • 16km 5:12 音楽聴くのをやめて、ランに心を戻す
  • 17km 5:16 静かである
  • 18km 5:24 脚が重くなった←重くなるのが早すぎる
  • 19km 5:24 脚が重くなった←要するにこのペースでフル前半を走るのはムリ
  • 20km 5:25 なんとかペースをキープ
  • 残余 0:22
  • 合計 1:42:07

 という、ペースをキープはできませんなあ、な話である。脚が重くなるのを、せめて30kmあたりに持ってこないといけない。それが可能な前半のペースはどれくらいなのだろう。5分20秒くらいならできるのだろうか? それで35kmを過ぎてからの「本番」を耐える力は残っているのか? またもや最後の8kmに1時間かけるのか?

 常日頃10kmばかり走っているので、42kmの長距離が全然つかめないのだ。よく雑誌には30km走の練習を取り入れようと書いてあるし、それは有効なのだろうと思うのだけど、そこまでできない。

 と、まあ、冷静に現実を見つめると、サブフォーは無理そうである。何となく、4時間7分くらいならいける気がする。しかし最初からそんなタイムを狙って走っても楽しくなかろう。

 イーブンペースでなく、前半で飛ばしたいのは、ほとんどわたしの人生哲学というか性格であって、あらゆるものごとは余裕がないと後半に力を発揮できない。麻雀でも、東場で勝って南場で守るのが、高校以来の自分のスタイルだ。とはいうものの、マラソンにそんなものを絡めるべきではなくて、これまでの2回は、いずれも後半に大失速しているので、イーブンペース寄りにすべきだ。でもイーブンペースって、すごく難しい。

 以上、ぐだぐだ言っているが、わたしにとってマラソンとは、こういうことを、ああでもない、こうでもないと一人でムフフと考える遊びなので、単に楽しんでいるだけだ。走った後は余韻を何度も反芻するのも遊びのうちである。たった42km走るだけで、なんと長いあいだ楽しめるのだろう。

 さて次の土曜日は、朝日カルチャーセンターで話します。すでに多くのお申し込みをいただいており、深謝でございます。まだ申し込み可能です。

日経夕刊10/11ノーベル経済学賞

 ノーベル経済学賞は、自分がもらえないのはさておき、ほとんど毎年、発表の時間にウェブ中継を見ている。今年は家族とファミレスに行って、一人だけスマホを見ていた。ノーベル賞は、当てる人は当てる(昔、先輩に5年連続で当てた人がいた)。それには経済学全体を見渡す学知と、絶妙な下世話さが必要だと思う。わたしは当たらない。学知が乏しいうえ、下世話さが足りないのだ。

 選考委員のなかの実力者は、マクロ経済学系がクルセル、ミクロ経済学系はショストロームだろう。他のスウェーデン人を思い付かない。なお選考委員は大抵、自分の業績書に「委員です」と公開しており、そもそもスウェーデン人の経済学者はそう多くないので、「こいつかな?」と検索するとけっこう当たる。

 わたしは留学中にクルセルからマクロを習い、ショストロームは兄弟子にあたる(ともにトムソン先生の弟子なのだ)。といっても親しいわけではないが、彼らの学問志向や人間関係から、勝手にいろいろ推測する。

 結局、今年は対象分野が「契約理論」で、ハートとホルムストロームが受賞した。正統派の、きわめて手堅い授賞である。それで、日本経済新聞に電話取材でコメントを寄せました。本日10月11日(月)の夕刊に載っています。

  受賞の説明を読んで意外だったのは、Holmstorom (1979) "Groves schemes on restricted domains" Econometricaが引用されていないことだ。この論文はメカニズムデザインの金字塔のひとつで、「どのようなスムーズ定義域のもとでも、効率性と耐戦略性を満たすメカニズムは、VCGメカニズムだけである」という大定理を示したものだ。最高にエレガントな公理化である。

 これはとても有名な論文で、契約理論に関連付けようと思えばできるし、メカニズムデザインのプロであるショストロームが知らないわけはない。なのに授賞理由にこの論文を紐づけていない。メカニズムデザインには2007年にすでに授賞しているし、ほんとうに契約理論への貢献だけを理由にしたのだなあ、と思った。授賞のしかたとしては綺麗である。 

メカニズムデザイン―資源配分制度の設計とインセンティブ

メカニズムデザイン―資源配分制度の設計とインセンティブ

 

  そんな今日は、一限の授業を終えてから、一日中「人頭税」の文献を読んで過ごした。人頭税とは、担税能力に関係なく一人あたりいくらで課税する、歴史的に悪名高いやつである。人間の間引きがよく起こる。

 かつてイギリスではサッチャーがこれを導入しようとして退陣に追い込まれた。日本でも(あるいは琉球でも)、宮古島や八重山で1637-1903年のあいだ、苛斂誅求をきわめた人頭税が課されていた。 カナダではかつて中国系移民に対して、やはり過酷な人頭税を課していて、2006年にはカナダ政府が歴史認識の表明として公式に謝罪をしている。

 なぜ、わたしが目にする人頭税は、いずれもひどい重税なのだろう。課税というか、ほとんど奴隷化のレベルである。いっそ奴隷化を人頭税の極点と理解すればよいのだろうか。それとも軽い人頭税は、人目につかないだけなのだろうか。この辺のことがまだよく分からない。

近世琉球の租税制度と人頭税

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八重山の人頭税 (1971年)

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